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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ② しつけの問題


しつけの問題

一九四三年七月十一日、日曜日
だれよりもたいせつなキティーヘ

ここでもう一度″子供のしつけ″の問題を蒸しかえすと、はっきり言ってわたしは、これでもせいいっぱいみんなの役に立とうとし、だれにでもやさしく、親切にふるまい、できることならなんでもしようと努めているんです。そうすれば、わたしにたいする非難のあらしもやみ、軽い夏の霧雨程度になるはずなんですけど、正直なところ、そういう模範的な行ないをしよう
にも、相手が我慢のならない人たちだと、それがとてもむずかしい。
その行為が自分の本心から出たものでない場合には、とりわけそれが困難です。
でも、ほんとうはわたしにだってよくわかってるんです ― いままでみたいに、思ったことをだれにでもずけずけ言うのはやめて(といっても、これまでだれからも意見をもとめられたことなんかありませんし、たとえ意見
を言ったところで、いつも鼻の先であしらわれるだけでしたけど)、そのかわりに、ちょっぴりいい子らしくふるまってみせれば、もっとみんなとうまくやってゆけるってことぐらいは。
なのに、当然ながらこれをちょくちょく忘れてしまい、なにか不当な扱いを受けると、怒りをおさえきれなくなって、その結果、以後四週間もの長きにわたって、世界中にこれほど生意気で、これほどずうずうしい女の子はいないというような議論が、はてしもなくくりかえされることになる。
ねえどうでしょう、わたしにだって、たまには同情される資格があるとは思
いませんか?
わたしが根っからの不平屋ではないので、これでも助かってるんですよ。
もしそうだつたら、意地悪で、ひねくれた女の子になっていたかもしれません。
たいがいの場合、こういうお説教にたいしてはューモアをもつて臨むことにしていますが、それでも、咎めだてされるのがこのわたしではなく、ほかのだれかであるときのほうが、ずっと気分的に楽であることは確かです。
速記の練習は(さんざん考えた結果)、しばらくお体みすることにしました。ひとつには、ほかのの学科にもっと時間を割くため、そして二番めには、目に悪いからです。
いま、すごく憂鬱で、みじめな気分なんですけど、それというのも、ひどい近限になっちゃって、本来なら、とっくに眼鏡をかけているはずのところ(おぇっ、きっとフクロウみたいに見えるわ!)。
でも、潜伏生活を送つているかぎり、もちろんそれは無理な相談…… 
きのうは、みんながアンネの目の話題で持ちきりでした。
ママがクレイマンさんの奥さんに頼んで、わたしを目医者に連れてってもらつたらどうだろう、なんて言いだしたからです。
これを聞いたときには、思わず体がふるえました。だってこれはなまやさしぃことじゃぁりません。まあ想像してみてくださぃ。《隠れ家》を出るんですよ。街を歩くんですよ!
考えるだけでどきどきします。
最初はちょっとぼうっとしてしまいましたけど、そのうち、楽しみになりました。
けれども、事はそう簡単には決まりません。そういう処置をとることを認めるかどうか、みんなの意見がなかなかまとまらないからです。
まず、それに伴うあらゆる困難とリスク、それを慎重に比較検討してみなくちゃなりません。
結論が出しだい、ミープはすぐにでもわたしを連れて出かけるつもりでいたんですけど。
みんなが相談してるあいだに、わたしのほうは、戸棚からグレイのコートを出してみました。
すっかり小さくなっていて、まるで妹からの借り着といつたところ。
丈はもうぎりぎりまでのばしてありますけど、それでも身幅がきつくて、ボタンがかけられません。
いったいどういう結論が出るのか、わたしとしてもおおいに関心のあるところですけど、結局のところ、この計画は実現しそうもありません。
というのも、英軍がシチリアに上陸したとかいううわさを聞いて、パパがまた″早期終戦″に望みを持ちだしているからです。
ベップがマルゴーとわたしに、 いろいろと事務所の仕事を手伝わせてくれます。
なんだか偉くなつたような気がしますし、ベップも大助かりのようです。
手紙をファイルしたり、売り上げを記入したりすることぐらい、だれにでもできる仕事でしようけど、わたしたちはそれをとくべつ念入りにやっています。
ミープはまるで荷駄を運ぶラバみたいに、忙しく使い走りをしてくれます。ほとんど毎日のように、わたしたちのために野菜を手に入れては、 いっさい合財を買い物袋に詰めこみ、自転車で運んできます。
土曜日には、図書館から本を借りてきてくれるので、みんなはその日を待
ち焦がれています。
まるでプレゼントをもらう小さな子供みたい。
普通の人たちには、ここにとじこもって暮しているわたしたちにとって、本がどれほどの楽しみだか、とてもわかってもらえないでしょう。
読書と学問とラジオ、それがわたしたちに許された唯一の娯楽です。

じゃあまた、アンネより

増補新訂版 アンネの日記 P186~189

この日の日記を読めば、アンネ・フランクという、ひとりの人間がこの時、どのような問題を抱えていたかが理解できるであろう。
アンネは、これだけ理路整然と物事を見つめ、解釈しそれを整理したうえで記録できる人格を身に付けているのだが、特に母親を始め、他の隠れ家の人物たちが、自分をまるっきり「子ども扱い」をしており、そのことがいかに深く心を傷つけることであるかという警鐘を鳴らしている。

「ナチス・ドイツ」によるユダヤ人迫害から逃れる為に、隠れ家生活をしているにも関わらず、その家族や仲間からの「特別扱い=蔑視」により、迫害に劣らない迫害行為を受けている。
日記は、現代の、そして未来の子どもを持つ親・保護者にこのことを訴えかけてきます。
母親に対しては、この後連行されるまで、まったく「心の置けない存在」として見放されています。
母エーディト・フランクは、逮捕後、飢えと疲労のため、アウシュヴィッツで死亡しており、この日記の内容を知ることがなく亡くなった。
もし彼女が生き残り、アンネが亡くなった後にこの日記を読むことがあったとしたら、「なぜ、自分の子どもではなく、ひとりの人格をもった人間として」扱わなかったのだろうと後悔に苦しみ続ける一生を送っただろう。
「アンネは、案外、意地悪な性格で、愚痴ばっかりを日記に書いている」などといった感想を持つとしたら、それはあまりにも洞察が足りない。

「ミープ」と「ベップ」は、フランク一家やその仲間8人をかくまってくれた人たちのうちの2人の女性である。

ユダヤ人をかくまっていることがゲシュタポに知られると、それだけでも収容所送りとなる、命がけの行為なのであるが、オットー・フランクの人格もあり、ミープやベップら4人のオランダ人(ミープはオーストリア出身)が、かくも献身的に8人を助け支えたことは、人間として実に崇高な行いであり、そのことはもっと知られる必要があると思う。
(もちろん戦後、イスラエル政府からその功績を讃えられている)

さらに日記の中にあるように、2人は会社の事務仕事の一部を任せているが、この扱いが、アンネにとって、どれほど「人としての尊厳」を高められた、うれしい体験であったかがうかがえる。





















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