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子ども 日本風土記〈長野〉より① 「 ことしもかあちゃんが工場へ行く 」
ことしもかあちゃんが工場へ行く
ことしもかあちやんは、十月二十六日から大町の東洋ぼうせきに行く。
きょ年の冬もそうだつた。
かあちゃんは、朝の十時半に出て、ひとばん工場にとまつて、つぎの日の四時半ごろ帰ってくる。
行くときは、瀬戸川のとうふやのわきまで、マイクロバスがむかえにくる。かあちゃんは家から二十分ぐらい歩いて行ってのって行く。
帰りはまた、とうふやのわきまでマイクロバスできて、歩いて帰る。
帰ってくると、すぐ畑の仕事に行くこともあるし、家の中で仕事をしていることもある。
きょうもまたかあちやんは、工場へ行った。
学校で勉強しているときは、なんでもないけれど、 帰るとき、「かあちゃんいないんだっけ」と思って、きょうもやだなと思いながら帰る。
うちに帰って、かばんをおろして、「かあちゃんは、あっちの方にいるんだな」と西の空の方を見る。
ねえちゃんは、中学校のきしゅくしゃにとまっていて、土曜日にしか帰らない。
とうちゃんは、どかたに行って夜の六時ごろしか帰らない。
かあちやんが、おきを入れておいてくれたこたつにあたって、マンガを読んだりしている。
五時、六時、とけいの音が、「カチカチ」大きくいっている。
六時のとけいの音が、いつもよりいっそう大きい音でさびしかった。
話しあいてもない。
家の中は、きのうよりひろくなって
いるかんじ。
そとはまっくらで、なにかはいってきそうな気がする。
かおがあつくなってきた。
社会の本を読んだり、算数のわり合の勉強をしていた。
つまらない。
とうさん早くこないかな。
そとで、自動車の音がした。
ゆっくりはしっている音だ。
いつもとうちやんがのってくる車の音だ。
とまった。
とうちやんはだまってとをあけた。ほっとした。
いままでのさびしさもふきとんだ。
とうさんはくたびれているようだ。
こんなことは、なん日もあった。
そしてらい年の四月までつづくんだ。
かあちゃんは、よくおかしやノートなどをかってきてくれる。
わたしがさびしがっていることを思ってかって きてくれるんだな。
四年のときは、そうは思っていなかった。
かってきてくれなんでもいいから、工場へ行かなんでって、かあちやんに言ったこともあった。
かあちゃんは、「農業だけじゃ、やっていかれないから、少しでもお金がはいるようにしなくちやあいけないからな」と話してくれた。
さびしいけれどもしかたない。がまんしなくちゃ。
(上水内部小川北小五年 宮下道子)
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ひとりっ子なのだろうか。
冬の木曽路の、さびしい夜の光景が浮かんできます。
北国の農家では、やはり冬季には農業が成り立たない為か、こうした出稼ぎのことを綴った作文が多く見られます。
しめくくりの「がまんしなくちゃ。」の言葉には、何とも胸が詰まります。
木曽海道六十九次を描いた広重の浮世絵の中の、37番「宮ノ越」は、夜道を帰る親子の姿が描かれており、私がシリーズの中で、最も好きな一枚です。
このような土地であるからこそ、親子の絆というものは、より深かったことでしょう。
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