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太陽のように温かな母親の人柄が、チャップリンの才能を開花させた ~ 「チャップリン自伝ー若き日々」を読む ⑥

わたしは自分が社会的に貧民だということをよく知っていた。
どんなに貧しい家の子供だって、日曜日の晩は家でつくった夕食を食べたものである。
つまり手料理の焼肉というのは、いわば一種の社会的体面であり、同じ貧乏暮しでも、それをさらに区別するひとつの儀式といってよかった。
要するに日曜日の晩、自宅で夕食のテーブルにつけないというのは、乞食も同じ最低の階級で、わたしたちがまさにそれであった。
母はよく近くのコーヒー・シヨップヘわたしをつかいにやって、六ペンスの夕食(肉と二種類の野菜からなっていた)を買わせた。
どんなに恥ずかしかつたことか―まして日曜日となると、ひとしおだった! わたしは、なぜ家でつくらないのかと文句をいって、よく母を困らせた。
家でつくると、出来合いを買うよりも三倍も高くつくことを、母はしきりに説明しようとするのだが、わたしにはそれがわからなかった。
ある金曜日のことだった、母は運よく競馬で五シリングもうけた。そこでゎたしを喜ばせるために、日曜の夕食は家でつくることに決めた。
買いこんできたいろんなごちそうの中に、牛肉とも脂身ともつかない肉が一片あった。だが、それは目方が五ポンドもあり、ちゃんと″焼肉用″と印が押してあった。
家にはオーブンがないので、母は家主のを使わせてもらった。ところが、あまりしげしげ台所へ出はいりするのは気がひけるものだから、適当に見当をつけて取り出しに行ったのであるが、おかげで情けないかな、肉はクリケット・ボールほどの大きさにちぢんでしまっていた。
母は、だから六ペンスタ食のほうが手間もかからないし、味もいいのだと言いはったが、わたしは結構おいしかったし、人並みの食事ができたことだけでも満足だった。

平成25年刊 チャップリン自伝 ー 若き日々(新潮文庫)P93-94


現代社会でも経済的に困っている話はよく聞くが、このチャップリンと母のエピソードに比べれば、だいぶましなのではなかろうか。
それでも、たったこれだけの文章の中に、「温かい」ものが感じられる。

競馬でいくらか儲けた時に、「これで日曜に、子どもに夕食を手作りしてあげられる!」と思った母ハンナの温かさこそが、チャップリンにとっては、生涯忘れられない財産であっただろう。

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江島 達也/対州屋
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