そもそも人間は土地など「所有」できるのか?
SDGs(持続可能な開発目標)がやっと浸透してきた今、標題について考えてもいい時代になったと言ってもいいだろう。
”SDGs=持続可能な開発目標は、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な開発のための国際的な開発目標。 ミレニアム開発目標 が2015年に終了することに伴って2015年9月の国連総会で採択された『持続可能な開発のための2030アジェンダ』 に記述された2030年までの具体的指針である。”
SDGsについて理解を深めることは、なかなか容易なことではないだろう。
まず、その前に「誰もが一度は疑問に思ったことがあるはずだが、誰も的確な答えができない」ことを話し合うことは、若い世代にとって意味のあることだろう。
そもそも人間は土地など「所有」できるのか?
ここでは、登記法の歴史とか国土・私有地云々の基準について言っているのではない。
そもそもである。
人間が誕生して人間として営む時間は、地球の歴史から比較すると恐ろしく短時間であることは誰が判ることである。
また、人間の命は、大自然の恩恵なしでは1秒たりとも存在しえないことも。
その瞬く間に出現する生物が、地球の一定の場所を所有するなんて、考えてみれば馬鹿げたことかもしれない。
国レベルでは有史以来、争い合って国境を移動してきたが、その争いは未だに続いているし、過去の遺恨は間違いなく未来の命に引き継がれる。
個人レベルでも、隣りの家の葉っぱ一枚落ちただけで激怒するなんていうケースも珍しくない。
そんな有様なので、国レベルでは紛争地域の難民は救われることがなく、飢餓地域では毎日何万、何十万といった子ども達が栄養不良で命を落とすか、危険な状態に晒されている。
個人レベルで言えば、土地を所有しない者への偏見や差別が増長し、ホームレスに対し、「目障りだから」と殴り殺したりする事件が起こったりする。
住宅地に入ってきた野生動物などは、たちまち射殺され、野良猫のTNR化などまったく進んでいない。
人々の間から寛容さが益々失われ、ステレオタイプ化した居住スペースの中で、引き籠りや孤独死が増加していく。
確かに土地は莫大な「金」を生む。
その金はもちろん私自身にとっても、とっても魅力的であることは否めない。
しかし、重要なことは、その「金」は、本来「地球上に同居する全ての生命に対して平等に使われるべきもの」だということだ。
SDGsが提唱している目標も、その観念・信条・価値観が無ければ、けっして達成することはできないだろう。
自分が所有した財産や土地をその末裔に残すことよりも、その観念・信条・価値観を申し伝えていくことの方が大事なのではなかろうか。
「そもそも人間は土地など「所有」できるのか?」という問いが、そのような「人間の生きる価値や意味を問う話し合い」に発展するならば、それは大変有意義なことだろう。