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例えば、混んだ新幹線で5時間立ちっぱなしは「最悪」だが、同じ状況でも自分が人に席を譲った後なら快適でいられる
私は、特に自分の子どもや学校の生徒と一緒に乗り物に乗る時は、気がけて「席を譲る」ことにしていた。
それは、公共のマナーを教えるというよりは、「人としての生き方」として、標題のように「混んだ新幹線で5時間立ちっぱなしは「最悪」だが、同じ状況でも自分が人に席を譲った後なら快適でいられる」ことを教えたかったからである。
これはもっとマクロ的にも通ずる。
食物や資源は、限りがあるもので、人間の欲望は計り知れない。
よりプレミアムな食事や食料、潤沢な資源・資材を求めていけば、「いつまでも「満足」や「快適」は無い。
「足る」ということを知らないからだ。
しかし、これを「いかに不足している人々にまわす、分ける」という活動をしたならば、「今あるもので、十分満足できるものであるし、ありがたいこと」という気持ちになることができる。
こういったことは、実際に混雑した車両に長時間立っている人に、席を譲ってみないとわからないことなのである。
こういうことを知らない人ばかりが世の中に増えていけば、たまたまついてなくて、長時間立ちっぱなしの人の心の中には、「他人への憎悪」「妬み」「世の中への嫌悪感」ばかりが増えてしまう結果となる。
そうさせないために、今日から「小さな種」を撒いてみよう。
私の住む街、長崎には世界遺産に認定された「古から続くカトリック教会と、その文化」が根付いている。
しかし、それはこの地の先人だけの苦労によって築き上げられたものではなく、「キリシタン弾圧」の時代から伝道者を通して贈られたアイルランドやフランスなどのカトリック国からの浄財によるところが大きい。
その内実は、名も無き多くの貧しき「席を譲った」人たちによるものなのだ。
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