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「反対署名」では、おそらく戦争や核兵器はなくせない

乱暴な言い方で恐縮だが、「反対署名」など反対し続けるアピールでは、おそらく戦争や核兵器はなくせない。

もう40年近く前のこと。
よりによって学生運動にはまった友人がいて、それもお決まりの左翼系だったので、まわりの我々は大層な迷惑をこうむった。

その時の友人の決まり文句は、「何が何でも反対する」や「とにかく、がむしゃらに反対し続ける」といったもの。

反対していたものは、トマホーク・ミサイルや核兵器と言ったものだったと思うが、その彼も今ではすっかり老いぼれて、反対の(は)の字も無い。当然である。

今、地元長崎でも、純真に核兵器を願い、一生懸命に署名活動を行っている高校生たちがいる。
実に頼もしい姿と思う。
そして、その活動を「ノーベル平和賞へ」と運動しているようなのだが、本当にそれで「ノーベル賞」なのだろうか?

意地悪で言っているわけではない。
反対されている対象である政府にとって反対署名は、それほど影響力があるとも思えない。
そうでなければ、この半世紀の間にも、何らかの前進があるはずなのだ。

大事なことは、対象側の人間に、「~すれば、~という利点が見込める」というWinを示すことだろう。

その道筋は簡単なものではないが、40年間反対し続けるより、40年間その道筋を「トライ & エラー」してみることの方が大事である。

その具体的でゆるぎない道筋の構築こそが、「ノーベル賞」などに値するものと言えるだろう。



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江島 達也/対州屋
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