晩秋の日差しは今年もやわらかい
毎年言っている気がするけど、気づけば今年ももう11月の終わり。
この季節に必ず思い出すことがある。高校時代の記憶。
高校生活最後の授業は、世界史だった。
授業は50分。ふだん世界史では教師が最初の10分を教科に関係ないことを話し、それから教科書に沿って世界の歴史を説明していくという流れだったと記憶している。
今ならその教師が「場を温める」ことをしていたんだなと気づける。
その日は節目の授業ということで「場を温める」時間に全てを使った。
テーマは卒業してからの決意表明みたいなことだったと思う。
この日の話し手は、自分たち生徒だった。
通っていた学校は「勉強第一!!」というわけではなかったから、これから受験に挑む者も挑まない者もいて、それぞれが自分の将来を教壇に立って話していった。
高校3年間が終わる寂しさと達成感を全員がかみしめながら、窓から差し込むやわらかな夕日も相まって進む時間がおだやかだった。
終わりに差し掛かったころ、せっかくだからと自分も手を挙げてみんなの前で話してみた。
その年の大学受験をきっかけに障害者手帳を取得して公的にも障害者となったこと。そして今までもらったいろんな「優しさ」をこれからは返していきりたいと思っていること。
高校になって体のことをちゃんと説明したことがなかったから恥ずかしかったし、話しながらたくさんのことが浮かんできた。
頭の中がそんな状況だったから、途中から話せなくなって見苦しいぐらい泣いていた。自分で何をしているかわからなくなっていた。
でも、前を見るとそんな見苦しい自分の姿にクラスメートや教師もまた涙を流してくれていた。自分の話をみんなが真剣に受け止めてくれていた。
話すスピードが遅く伝わらないことも多い自分の話に。
そんなことに気づいたら、余計涙が流れたし顔も崩れた。
その時教壇から見た光景は奇跡だと思った。誰かと話してその人がちゃんと聞いてくれるだけでもありがたいのに30人以上の人が自分の話と向き合ってくれている。
今考えても、こんなことを経験していいのかと思うぐらいに幸せな光景だったと思う。本当にありがたい光景。
今30代中盤を迎え、おかげさまで仕事もある程度続けられているし、地域の活動を始めたことで仕事以外の出会いや経験もたくさんさせてもらっている。
そんな今迷ってだからこそ、ふと考える時がある。
あの時顔をぐしゃぐしゃにして思いを語った高校生の自分は、今の様子を納得するのだろうか?
今の自分は16年前に思い描いた自分に近づいているだろうか?
冬の手前のやわらかな日差しに今年も身が引き締まる。