やけに明るく振る舞ってしまう私とあなたへ。躁的防衛についての話

つらくてしんどい現実とせめて楽しく向き合ってやろうと、意識してテンションを上げて、にこにこ笑顔を必死にキープする。
抱えた悩みをだれかに話すときだって、茶化すような語り口にする。

この「やけに明るく振る舞ってしまう」という行動、どうやらちゃんと名前がある様子。そして名前があるだけでなく、心の健康を保つうえで、けっこう問題のあるものらしい、です。わたしも今さっき知った。中学以来7年間くらいにこにこしてた私には大スクープだった。

この行動のお名前や、その問題があるとかいう話をぱっと知りたいそこのあなたは、目次の3.躁的防衛をポチとしてほしい。

その行動の名前にわたしがたどり着くまでの経緯とかに目を通してやろう、というひとはこのまま下にスクロールしておくれ。

1.さいしょに

こんにちは、高卒限界新人SEの幌田みうです✌

この前、自分の現状の整理・記録(と暇つぶし)のためにnoteをはじめるなどした。

そして初めて記事を投稿したわけなのだけれど、先ほど改めて読み返してみた感想として抱いたのは、久しぶりに文章を書き終えたなあという達成感と、もうひとつ。

「自分が思っていたよりも、雰囲気がシリアスじゃないなあ」。

そんな初投稿の記事はこちらです。お暇なら適当に読んでやってください。ほんとに、あんまりシリアスじゃないから。

★このときはですます調で言葉を綴っていたけど、今回からは書きたいように書くことにした。ちょっと読みづらいかもしれないけど、まあ適当によろしくお願いします。

2.自覚およびこの記事を書いたきっかけ ~ポジティブすぎる愚痴~

初投稿の記事は、入社からいままでの期間で、限界新人SEのわたしが誕生した理由を整理して、心にたまったいろいろを吐き出すようにして一文字一文字をタイプしていった…つもりでいた。
結果、仕上がりはそこそこネガティブで、それなりに暗めのテイストなものが…な~んにも出来上がりませんでした。実際に完成したのは、「ポジティブすぎる愚痴」

幌田さんは思った。久しぶりに文字を書いて、自分のことばで文章をひとつ書き上げられたのは天才だと思うし、達成感も感じられている。しかし、こういうのを書きたかったわけじゃあないんだけどなあ、と。

せっかく自分の気持ちを整理して、いろいろ向き合ってやろうと始めたnoteのはじめての投稿にしては、猫を被りすぎだ。

割とわたしはしっかり苦しんでるし、限界ぎりぎりだし、日曜の夜の布団のなかでも、業務中のトイレ内でも何度か泣いてる。
泣いてるんだけど、その苦しみとかを押し殺して、文章内どころか現実でも、最近私はあまりにも明るく振るまいすぎている気がする。友達と駅で会ってちょっと雑談する時だとか、後輩ちゃんと一緒にご飯行った時だとか、保育園以来の親友が話聞くよ、と言ってくれたときすらも仕事の話をするときは悩みを茶化すように、「今やばいんだよ!笑笑」みたいに、笑い半分で伝えようとしてしまう。

ずっと自分が元来明るい性格なんだとばかり思っていた。学生時代も、いやなことが発生したときに先生や友達に話を聞いてもらうときもなるべく雰囲気を重たくしたくなくて、結構茶化して話をしていた記憶がとてもある。

ちょっと、どうにかしたいね。コレ。
どうにかしなかったらわたしが先にいつかどうにかなっちゃいそうだからね。

ということでググってみた。


「絶対病名でググるな」という邦題のおもしろ洋楽を知っているけど、ちょっといまはあの曲の教えに反することにするぞ。

そうして検索して、出てきたのが今回のタイトルにもなっている例の行動だった。

躁的防衛
無理に明るいキャラクターを演じることなどで、気を紛らわせたり悲しい気持ちに蓋をしたりするなどの防衛行動。



自分じゃ~~~~~~ん!!!と、なった。

うわ、いままさに観測できた。こんな波伸ばし棒をたくさん使って、記事の雰囲気を明るくしようと努めてしまった。これだよこれ…

仕事つらい界隈で息をしていると、繊細さんなどを筆頭として、たくさんヒトの特性に触れる。
ちなみに私も例に漏れず、最近は注意力ないさんに該当するんじゃないかな~と思うなどしているよ。ほらこうやって話が主軸からすぐブレたりするし…(ただ、思うなどしているだけでお医者さんで具体的な診断を受けたわけじゃあないので、あしからず)。

そんな感じで、たくさんヒトの特性に触れるなかでも、『躁的防衛』というのは今まで聞いたことがなかった。でも実際世の中にはこれで苦しんでる人がいる様子だし、さらに自分にめちゃ該当してるってことで、ちょっと詳しく調べることにした。

3.躁的防衛

人間は地球上で唯一、自主的に服を着る生き物だ。

高校時代に家庭基礎の授業でやった記憶をもとに書くが、確か服を着る理由として「外界からの身体の保護」と「社会的に必要だから」のような説が挙げられていた。

躁的防衛を行う理由は、ほとんどそれと同じらしい。

「明るく振る舞う、笑顔でいる」という服を自分の心と体の表面だけ纏って、耐えがたい外界から自分のことを守り、さらに落ち込んで傷ついた姿を隠して社会に馴染もうとしているんだと思う。落ち込んで傷ついてるのは事実なのに。

なんというか、服というよりもに近い機能だ。
明るい自分というそれを纏っていかないと、この厳しい現実という戦場で戦えない。でも、鎧はめちゃくちゃ重たくて、その重さで守っていたはずの自分の心と体にダメージが入っていく。しかも、苦しさを外に吐き出そうとしても、重たい鎧がガードしてしまう。
さらに、本人は大抵、その重たい鎧に身を包んでいることに気付けないときた。

間違いなく健康に悪いね!これは。

でも、使っちゃいけない手段ではないらしい。
「短期間」であれば、さほど問題はないっぽい。新学期のはじまりとか、異動があった際の数週間だとかの短期間なら。

中学以来こいつと付き合ってる気がしている私には大ニュースである。

でも、「ヤバいことなんだなこれ…よし明日から明るく振る舞わないようにするぞ!」なんて、現実的に考えて普通に無理では?困ったぞ。

4.そんなに簡単に変えられるもんじゃないけど

【結論】ゆっくり自分を大事にできるよう変わっていきたいね。

躁的防衛を行っているというのは、なかなか自分で気づけないらしい。わたしは気付けただけでも100億満点ということにしよう。
ずっと、自分は明るすぎる性格なんだなあ、とだけ思っていたので、今回の気付きは本当に大きな一歩だと思う。思いたい。

今回この記事を読んでいるあなたが「やけに明るく振る舞ってしまう」仲間だったら、もしかしたら自分も…?と思ってくれたかもしれない。わたしも診断をはっきり受けたわけじゃあないから無責任な言葉なのだけれど、もしかしたら…と気付けただけであなたも120億点だ。やったね。

さて、そんな私やお仲間さんが悩む躁的防衛さんの直し方だが、まあ一切心理学とか学んだことのないわたしが考えていても始まらないので、ググろう。

今考えると「治し方」のほうが表現的に正しい気がするな。

自己理解を活かして、対処方法のレパートリーを広げる
自己理解によってこうした(引用注:躁的防衛やってんな~って感じの)自分の認知と行動の傾向に気づいたら、「どうしたら改善できるか」を考えてみましょう。そして、できるところから改善を試みてみましょう。
(中略)
耐える力が弱いと感じた場合、ストレス発生後すぐに躁的防衛に逃げず、しばらくの間そのストレスと付き合ってみるといいでしょう。つまり、すぐに気晴らしなどで気分を上げようとせず、「ストレスと同居できる力」をつくっていくことです。

「対処する力」が弱いと感じた場合、上記のような力を伸ばすとともに、有効だと思われる対処法をあれこれ試してみるといいでしょう。たとえば、不快な気持ちをノートに書き出してみる、交渉術を試みるなどして、対処法のレパートリーを広げてみるといいでしょう。

https://news.line.me/issue/oa-allabout/3bc3313525f9

だってさ。
めちゃくちゃ他人事みたいにとらえてしまったのだけれども、なんか…こういうのが対処法らしいです。

でも、正直いきなり「ストレスと付き合うぞ!」「ストレスの原因のニンゲンと交渉するぞ!」なんて気持ちを無理やり切り替えたら、それこそ「私は変わるんだ!大丈夫、いけるいける!」とかいう考え方になって躁的防衛が発動する気がする。それでは圧倒的に本末転倒すぎる。

そんなことを考えていたが、引用させていただいた記事の最後が、こんな言葉で締めくくられていた。

長い人生の中では、さまざまなストレスに何度も遭遇します。そうしたときには、「躁的防衛」という一つの方略のみに頼るのではなく、その時々の自分に必要な方法を多角的に検討して、適切な対応ができるようにしていきましょう。

「一つの方略のみに頼るのではなく」、そして「できるようにしていきましょう」という言葉がそこにはあった。

なるほど、躁的防衛くんも使うべき時には使っていいし、改善も即座に「する」ではなく、だんだん「していく」でいいのか。いいらしい。このくらい肩の力を抜いて、ちょっとずつ改善していけたらいいな。いいね。

5.さいごに

躁的防衛というのをここ数週間で初めて知ったので、それがどんなものかっていうのと、それをやってる私が今後どうしようかな~と考えているかを今回は綴らせてもらった。

『明るく振る舞ってしまう』というのは、字面だけ見ればポジティブそうだが、中身はとても重たい悩みだ。
本当はもっと真面目に世の中と向き合いたいのに、それができずについ作り笑いをして、悩みの相談を笑い話にしながら生活をしているひとがたくさんいると思う。

その中のひとりである私がその行動のひとつの答えにたどり着いて調べてまとめたこの記事が、同じ悩みを抱えているお仲間さんや、こういう人が身近にいる誰かのもとに届けばいいなあと考えながら、ここで筆を置かせてもらうわね。

それではまた。


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