いい奴だ
新幹線の最果ての鹿児島中央駅、そこから広く開放的な通りを15分ほど歩くとそこが天文館だ。以前天文台が置かれていたからそう呼ばれる、鹿児島一の歓楽街。西の果てだと侮っていると想像よりも繁盛していて驚かされる。そんな中にあった僕のバイト先から徒歩数分のところに山下小学校がある。実はここ、かの向田邦子の母校である。
向田邦子は昭和の売れっ子脚本家であり、直木賞を取った小説家でもある。名ドラマをたくさん世に残した。ドラマでは「阿修羅の如く」が有名だろうか、所謂、家族ものの作品が多い。
昨夜は「あ・うん」という映画を見ていた。原作が向田邦子で、元のテレビドラマと、映画に2度もなった人気作である。テレビドラマを映画にしたとあって、出来事の間隔が狭くバタバタとストーリーが進んでいく感は否めなかったが、家族と友情が温かく、素直に描かれている作品だった。
彼女の作品の何が魅力かと言われると、ストーリーというよりもその間に挟まれるストーリーには関係のない他愛の無い会話にある。
「あ・うん」の中で、娘が倒れて病院に運ばれ、待合室で待つ奥さんのところにばたばたと旦那が駆け込み、引き攣った表情で様子を伺うシーンがあった。その時、奥さんは状況を伝えながら、お腹あたりを少しさすっている。「何をしているんだ」と旦那が詰めると、「だって、痒いんですもん」と少し戯けた様子で答える。
「阿修羅の如く」の中では、父の浮気を疑う姉妹の真剣な話と、そういえば祖母はこんな癖があったという家族のどうでも良い話が交互に、自然に交わされていく。
緊張感のある会話と、少し間の抜けた、いかにも人間的な会話がコロコロと移っていくあたりに、作品としての親密度がどっと増すのである。その、間に挟まるどうでもいい会話の描き方が非常に巧いな、と思う。
彼女が活躍していた1970〜80年ごろのドラマを、リアルタイムで見たかったなあと思う。彼女は、81年に、台湾の飛行機事故で亡くなってしまう。
没後に、彼女の遺品から秘密の恋人に宛てた恋文が数枚見つかった。
飼い猫が彼女の不在を寂しがっているという話からこう続く
これは、かわいい。
短い文章の中に、彼女と相手の関係が想起される。なんだか悪戯っぽいこの詩を見ると、素敵な人だなと思う。
そして、あいつはやっぱりいい奴だ、「いい奴」という使い方はなんだか温かくていいなと思った。
相手の彼は彼女よりも先に、自死で亡くなっている。写真を撮る人だったので、向田邦子を写したポートレートが何枚も残っていたという。とっても聡明に写っている。
凛とした綺麗な顔をした人である。
(僕は何故か澁澤龍彦の顔が浮かんでしまった)
生活の中の会話は、無くても生きていけるものだ、話さなくても、生きていける。
でも、だからこそ会話こそが大事なものなのだというのを教えてくれるのが向田文学であろうか、温かみのある脚本ばかりである。
日本語最高の使い手と称されることも頷ける。
余談、ヒロインの富司純子の演技が可愛くって仕方がなかった。
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