天竺
自分は文を書くのが下手くそである。学生の頃から、なんだかんだ文章を書く機会はあった。読書感想文、期末のレポート。大抵は単位のために書く、言われて書く。大学受験でも小論文を書いた。そういうものには大抵、期限と最低何字という基準が設けられる、こういうのは得意だった。他人よりも素早く、数千字、時には数万字難なく書けた。だから文章を書くのは得意だと思っていた。
ただ、そうやって無理に文字数だけ増えた文章になんの価値があるのかと思う。それは書くために書かれた文章に過ぎない。
言葉にすると何かが抜け落ちる、と思うのだが、文章を長くして多くを語ってもそれは防ぎようがない。抜け落ちた分、表現で補完しなければならない、抜けたものを拾うのではなく、別で埋めるのだ。
そういう意味で大事なのは量ではない、いかにモノを詰め込んだ言葉を書けるかである。表現とは削ぎ落とす作業である、と誰かが言っていたがその通りだと思う。どんどん削ぎ落とし、尚且つ真は残す、そんな作業なのだろう。
溢れん想いを封じ込んだ時に言葉はひかる、これは神門という歌手の言葉。
最近、はっとする本ばかり読んでいる、読んだ後に具合が悪くなるような、そんな本。そこにはインクと記号しかないのに何故こんなに心を打つのかと不思議にさえ思う、これが表現か。
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