熱をもって語れない

ハリーポッターを観たことがなかった。
これまで22年間生きてきて1度も、だ。
高校生のとき、USJでハリーポッターのエリアが整備された。
そして、実際に行った同級生がおみやげとして「百味ビーンズ」というストーリーの中でも出てくるグミを買ってきたことをおぼえている。
チョコやイチゴといった一般的な味から、臓物、耳クソといった魔法の世界ぽい?不気味な味までとりそろえた人気商品らしい。

「お、あの映画出てきたグミじゃん!」
「懐かしい!」

ハリーポッターとともに過ごしてきて、口をそろえて感動をあらわにしている友人。
一方、脈絡もわからず、思い出を語り合う彼らの盛大なネタバレをそばで聞いている僕。

「そんなストーリーだったんだ、今度見てみるわ!」

話に割って入って、ハリーポッターデビューを飾る良いきっかけだったかもしれない。
だけど、時流には乗らまい、というちょっとしたプライドを持っていた僕にはそんなことはしなかった。
ただただ、おそるおそるゲロ味に手を伸ばすくらいで十分だった。


最近、研究室でハリーポッターの話になった。
大学生になっても相変わらず"デビュー"を果たしていなかった僕には、さっぱりついていけなかった。
ダンブルドアとは誰だろう?
「秘密の部屋」は一体何が"秘密"なのだろう?
高校のときと違って素直な心を手に入れたのかは分からないが、そんな気持ちがおこってきた。
僕は内容のつかめない話を空聞きしながら、こっそりTSUTAYAの場所を頭の中に思い浮かべていた。


ホコリをかぶったDVDプレイヤーを久しぶりに起動し、第一作「賢者の石」を再生した。
続いて「秘密の部屋」「アズカバンの囚人」「炎のゴブレット」と順番に観ていった。
・・・ほうほう、そうだったのか。
やっと彼らの話す内容の点と点がつながった。
それにストーリーも面白かった。
ただ、なぜだろう。
高校の友人たちのように、そして、研究室の人たちのように熱を持って語ることはできない気がした。
熱を持つには、遅すぎたのかもしれない。


〈小5、中2、高2ではまったジャンルは再燃しやすい〉
先日、そんなツイートを見かけた。
グーグル検索しても学術的な根拠をみつけることはできなかったから、信頼性は定かではない。
ただ、あながち間違いでもない気もしている。
小5、中2、高2、つまり思春期に相当する期間。
触れたものを自分の中で何倍にもふくらませて、想像とか空想、あるいは妄想の世界にも落としこんでいけるときだから。
ハリーポッターを語る彼らの熱、それはつまり、そんな密度の濃い日々を思い出し、浸っている証なのだと思う。
そして、誰にでもそんな時期があったはずで、それぞれに熱くなれるものを持っている。
ポケモン、ナルト、スピッツ・・・
あのとき感じた衝動とかワクワクは覚えているし、熱を持って語ることもできる。
だけど、ふたたび新鮮なものとして語れるテーマが、どんどん増えていくことは少なくなっていくのだろう。
新しいものに感動する力は、徐々にピークから遠ざかっているだろうから。


DVDデッキから「炎のゴブレット」を取り出してケースに戻した。
そして、しばらく続きの作品を借りることはないだろうな、と思った。
キラキラとした思い出とともに記憶されるわけではないことも、その一因なのだろう。
もし、高校のときにちょっとしたプライドを乗りこえて、素直に観ていたらもう少し後に尾を引くような余韻を味わっていたのかもしれない。
だけど、今となってはどうなっていたのかは分からない。
ただ、そんなことに思いを馳せるようになったことが、"大人"になったことを実感させていることは確かだ。
4本のDVDを見つめる僕は、なにかしらの魔法に頼りたくなった。


#エッセイ #ハリーポッター#思い出#思春期#人生#青春



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