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「生放送」に手を出してしまったひきこもり
近況報告
皆さまごきげんよう。「34歳長期ひきこもり」「学歴、職歴なし」「貯蓄ゼロ」という相変わらず人生崖っぷちな状況を生きているホロ9です。
そもそも現代社会は肉体的・精神的双方のバイタリティーに秀でていない限り、にっちもさっちも行かない構造に固められているということをここ数年で深く体感しており、今年に入ってからはようやくそれらの底上げに重きを置いて奔走しています。
アト30年早く、これに気付いてさえいれば……。
しかし、昨年末に見舞われていた、そこそこ重めの体調不良から脱することが出来たのは不幸中の幸いであり、血まみれの戦場で辿り着いた一凛の祝福であります。具体的には重度の倦怠感や目眩が起き、一時は心身が限界を迎えたのだろうと諦めていました。
当時、不思議と死に対する恐怖心は薄く、そのまま衰弱死する結末も悪くないとも思っていたのですが、結局体調を取り戻せてしまったのは、この無能な棒切れにもまだまだやるべきことがあるという天の思し召しによるものでしょうか。
だとすれば再び立ち上がらなければなりません。
ちょうどここ最近は、地の果てまで張り巡らされていた牢獄に、一点、二点、三点と運よく穴が空き始めているような世界情勢ですから、暗い顔ばかりもしていられません。「個人の人生」という規模感の話にしても、僅か一点でも希望が見える場合、機を逃さず全力で挑んでみるのが後々に気持ちよく死ぬためのコツだと存じております。
コーヒーの湯気でカーテンを揺らす夜、窓から見える天空の星々に混じって乱舞するひとつの未確認飛行物体を、「失恋の記憶」に振り分けられたラブソングを頭の中で流しながら、ただボーっと気だるげに眺めているようなのも、ある種全力の人生の生き方であると思います。
肩肘張るだけが全力ではないらしいことを、30に入ってようやく気付けたのです。
「生放送」という禁域へ
さて、前回の記事(上記参照)ではclusterなるメタバースを始めたことを白状しましたが、こちらも引き続き精力的に取り組んでおります。
私はこれまでネットの「友達募集系」のコンテンツを漁って、人生の中で絶対的に足りていない社会刺激の埋め合わせていましたが、メタバースという即興性が高く極めて応答の早い媒体を用いることで、これまでとは段違いで社会刺激の収穫量が上がったように感じております。
「状況的にこんなことをしている場合なのか?」という疑問も己の頭を掠めめたりしますが、知らない媒体に飛び込むことによる脳トレと、精神的なバイタリティーの強化にメタバースは一役買ってくれるであろうことを口実に、もうしばらく続けてみるつもりです。
そして、ひきこもりの努力とは空回りするのが常です。今回はなんと「イベント開催」なんて過ぎたる物事に手を出してしまうことに。
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学門に創作に歌に落語にプログラミングにetc……。
clusterでは各技能に秀でたユーザーたちがイベント会場を沸かす中、無職ひきこもりが雑談をするだけという黒一点を担うのが、このひきこもり観察会です。
「社会不適合者たちの哲学」なんてカッコイイ副題が振ってありますが、中身はほとんどただの雑談です。誇大広告の疑いがあります。
今回は無茶を言って、私が知りうる限り最強の語り手であり、長期ひきこもり同志でもあるkonsta氏に共演していただきました。
いくら「困窮からだんだんと頭がおかしくなってきた側のひきこもり」であるホロと憧憬(cluster名)とはいえども、不特定多数のお客様を相手にリアルタイムで喋り続けるというのはまだまだハードルが高い世界だろうと諦観があったからです。
せっかく「仏の顔も三度まで」という言葉があることですし、彼にはあと二回は無茶を言わせていただくつもりです。konstaさん、いつも本当にすみません、そしてありがとうございます……。
記念すべき第一回は、約40分の開催時間の中で、壇上の二人を除いても「総来場者29名」という驚愕の数値を記録しました。
元々の知人や、新しくclusterでお世話になっているフレンドさんらが応援に来てくださることは想定していましたが、それでも多く見積もって6名ほどだろうと考えていたので、驚きました。29名といえば軽く倍以上です。
「変なイベントを開くな!」「外に出て働け!」とお叱りの声を受けることも打ち合わせの段階で双方が覚悟しており、「咄嗟に姿を消す方法」なども練習していたのですが、それどころかご好評の声や、続編の開催を望む声をいただけたので更に驚きました。
ご来場くださった皆さん、本当にありがとうございます。
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ひきこもりvs生放送
「大勢の前で話す」というのは、子供の頃から重度のあがり症だった私にとって、ほとんどトラウマに近しい行為です。
小中高と這う這うの体で生き延びてきた学校生活の中で、クラスの壇上で何らかの発表をさせられる機会はありましたが、情けないことにどれ一つとしてマトモに完遂させられた記憶がございません。クラスメイトらの失望と同情の声を受けながらなあなあの状態で終わるか、教師の慈悲によって中断させられてばかりだったからです。
発表会の類がスケジュールにある日は、急に隕石が降ってきたり、街に大怪獣が表れて中止になることを本気で祈っているようなネクラでした。
当たり前に「大勢の前で話す」という機会が設けられていることも、社会に対する大きな恐怖感の一因だったりします。
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にも関わらず、clusterのイベントはリアルタイムで進行するもので、事実上の「ライブ」や「生放送」なのです。
それは私が最も苦手とするもので、ある意味、過去への挑戦……。
少しでもマトモな人間になりたい気持ちがあって、ネットを通じた文字での会話→音声での会話→事前収録のラジオ動画とこれまでだんだんと行為の難易度を上げて参りましたが、「生放送」ともなれば一つ上の次元であり、立ってみると「遂にここまで来てしまったか」という感慨を禁じ得ません。
本番の二日前から手足が震える感覚が起き、寝る前に動悸もしたりして一時は不安に駆られましたが、いざ迎えた本番当日は不思議と緊張感が薄らいでおりました。これには「konsta氏」という最終兵器が隣に御座す安心感、それから「事前に身体運動をし、血行を良くしておく」という思い付きの試みの方も幾らか効いてくれたように思います。
これまでネットを通じて行ってきたつもりの我流のリハビリが、確実に効いてくれていることを実感できる機会でもありました。
かつてはグループ発表であっても一人だけ頭が真っ白になって棒立ちしてしまい、個人としては他者に向かって文字を打つのさえ怖かったような人間が、「生放送」なんて無茶を完遂できてしまったのです。遠い遠い回り道を経て、辿り着いた先が「過去のトラウマ」だというのも実に因果な話ですね……。
とはいえ、目標地点は自己の世界にのみ留まらず、周囲にまで満足感を齎せる領域です。その為には己の緊張だとか、不安だとか、恥ずかしさといった限定的な観点を超越し、全体の事象を俯瞰的に楽しめるような器が欠かせないことでしょう。プレゼンテーションのプロのような、そんな領域はまだまだ尻尾さえ見えておりません。
気弱なひきこもりの、精一杯の強がりと挑戦は続きます……。
第二回開催へ……
周囲の反応次第では一回目を最初で最後のイベントにするつもりでしたが、想定を超えるご好評につき「第二回」を開催することの運びとなりました。
しかし、第二回は「コミュニケーションの難しさ」をメインテーマに、前回よりももっとジメジメしていて面白くない内容になってしまう予定です。
具体的には、前半の「続・アバター論」では私が長年のメタバース経験で培ってきた、人がアバター選択をする際の動機や、アバター越しに見える当人の性質についての私見を恥ずかしげもなく発表し、恐らく会場に困惑のムードが敷かれることでしょう。
後半のテーマである「コミュニケーション」では悶々としたコミュ障の辛さをタッグで振りまき、これがもうトドメになってしまうんじゃないかという算段です。
これだけやれば、「ひきこもり観察会」という不穏な看板に偽り無しの、何とも言えない空間に仕上がるのではないでしょうか。
そういうわけで、ご興味を持たれた方は是非ご来場ください(笑)