「親からの呪い」
ここ数年で、過度に子供への悪影響を与える親が「毒親」として取り上げられることが増えて参りました。
当時の私としてはネットの各所で議論されるそれを、どこか他人事のように眺めておりましたが、冷静に考えてみれば私自身も到底無関係な話ではなかったようなのです。
私がまだ幼稚園に通っているくらいの時期に、親が家庭内でたびたび凶器を振り回していた(しかも全く意味がわからない主張をしながら)ことや、私のことを殺そうとしたが、寸でのところで思い留まってくれたという内容を、ある時のネット通話で「毒親」の話題になったのを機に話してみたことがあります。
相手方の反応は「それは紛れもなく毒親で、しかもかなり重度だ」というものでした。「でも親としての愛情を感じたこともあるし、守ってくれることもあった」と何故か私は咄嗟に親を庇うような言動を取りました。その後「そうやって、あまりにも重度だと認識出来なくなるものだ」と同情を込めて声を掛けていただいたのを覚えています。なるほど、それじゃあ確かに私もいわゆる"毒親"育ちだったのか、と徐々に納得出来てきたものです。
今になって思えば、何もしていないのに親の気分によって怒鳴られたり、家庭内でしょっちゅう物が壊れたり、離婚騒動になったりはよくある光景でしたし、親の暴走を止める為に警察のお世話になったことも何度かあります。虐待を受けている子供が「自分は虐待なんてされていない」なんて全身に痣を作りながら言い張る事例は多いようですが、それはそうやって無自覚の内に親を庇おうとしている、また、血の繋がった親からそんな仕打ちを受けているとは認めたくない心理から来る行動だと聞いたことがあります。つまり「自分は健全に愛されている」と信じることで、瀕死の自我を防衛しているのでしょう。私も幾らか、無意識のうちにそうやって蓋をしている部分があったのかも知れません。
私の希死念慮というか、漠然とした消滅願望みたいなものは小学生の高学年くらいの頃からありまして、何だか常日頃から異世界とか、あの世について想いを馳せて、現実逃避の如くボーっとしていた気がします。クラスのイベントで将来の夢を書かされるような機会にも「まだありません」と書くようなつまらない子供でした。今を生きることが精一杯な気持ちだったのか、「夢を持つ」という感覚が私には全くわからなかったのです。せめて体裁だけ繕う為に何かを書こうにも、本当に何ひとつイメージが出てきてはくれませんし、嘘の言葉を書いて発表できるほどの気概もありませんでした。
スポーツ選手になりたい。宇宙飛行士になりたい。芸能人になりたい。社長になりたい。金持ちになりたい……。周りの子供たちは結構伸び伸びと自分の夢を書いて、それについて楽し気に語っていました。彼らの活気というか、断固とした「自我」みたいなものは一体どこからやってくるのだろうか?と、まだそういった語彙を持たないにしろ、私は不思議がっていました。
ただ、同じクラスに一人だけ、自分と同じように「まだありません」とだけ書いた男子生徒が居ました。それを見て「一緒だね」と軽く挨拶を交わしたことに、微かな安らぎを見出したものです。
同じく小学生だった時期の、ある日の登校時。稀にみる悪天候により、朝から雨がドシャ降りで、町中が夜みたいに真っ暗になったことがあります。緊急で町じゅうの街頭も点き、まるで夜中に出歩いているような新鮮さがありました。
学校に着くと、まずは玄関に入る前に傘に付いた大量の水滴を払います。暗い階段を登って自分のクラスの扉を潜ると、窓から見える景色が見渡す限りの真っ暗闇になっています。クラスの前面に掛かった時計はたしか8時台を指していましたが、朝ではなくまるで「夜の8時」のようでした。
朝の先生の話が始まっても、私は夢中で窓の外の光景を眺め続けていました。見慣れた町が雨雲に呑み込まれて真っ暗になっているのも、時折空が光って雷鳴が響くのも、全く別の世界に来たかのようで、嬉しくて仕方ありませんでした。「こんな調子じゃ昼休みに野球ができない」とぼやく活発な同級生の声が耳に入って、「こんなに見応えある景色を前にして、そんな即物的な考え方はあり得ない」と心の中で異議を唱えたものです。とはいえ、これは単に私の美的感覚の話に過ぎず、毒親とは全く無関係の内容かも知れません。それにしても、今でもやけに印象に残っている出来事です。
結局その不意に来た"異世界"も、惜しいことに一時間程度で去ってしまいましたが……。
その後、私は人生の至るところで我が身の「生き辛さ」と直面してゆくことになります。自分の意見や目標、主体性といったものが自覚する限りではほぼ無いに等しく、人間関係の構築が困難を極めました。挨拶する程度では誤魔化しが効きますが、少し話せばすぐに「自分の無さ」がバレるようなのです。むしろ他人は何故そうまで「自己」を確立できているのか、何を根拠に堂々と生きていられるのかが不可解であり、何らかの狂気に染まっているとしか思えませんでした。他人の存在が恐ろしく、出来ることなら「他人との関わり」から逃げ続けていたい。人間関係が運よく上手く行っている場合であっても、突然に拒絶反応のようなものが出てきて逃げ出したくなる。他人が平気でこなすことを、自分だけは変に肩肘を張って、何倍もの力を使ってやり遂げている気がする……等々です。
私のこうした「生き辛さ」の原因が何だったかを振り返ってみますと、幼少期の家庭問題、つまりこの記事の文脈で言うところの「毒親」が少なからず影響しているように思えてきます。脳を含む人体形成に重要な時期に、特に家庭という本来ならば安全を意識する筈の空間で想定外のストレスを受けた為、発育に異常が起きたのではないかと。
両親ともに癇癪持ちであり、私からすればどうでも良いと思えるきっかけで急に叫びだしたり、物を壊し始めることがありました。時には癇癪の理由が「楽しくないから」「腹が減ったから」ということもあり、その場合は予防法が無いので、今になって思えば滅茶苦茶です。幸いにも50代に差し掛かってからは流石の両親でも我が身を振り返るようになったか、癇癪はかなり減ってくれました。ちなみに片方は親もまた毒親でしたが、もう片方は落ち着いて優しい両親に育てられているので、必ずしも毒親の親が毒親ではない場合もあるのだなと興味深く思っています。反対に、毒親に育てられたにも関わらず、本人は立派な親になれたという人も世には居るのではないでしょうか。
それで、結局「毒親」とは何が一番の原因なのかと言えば、精神論や根性論といったものは実は取るに足らず、最大は物理的な「人体の損傷」なのだと私は確信しております。より詳しく言えば、食品、日用品、家屋、土壌といった現代日本に遍く有害な化学物質の影響により、全国規模で人体に物理的な損傷が起きているのが、そもそものきっかけではないかということです。
主流のメディアではとにかくこの「毒親」を精神論、根性論、或いは世代論といった曖昧な詭弁で片付けようとしますが、親と子といった程の生命の根源に差し迫ったプログラムは本能に忠実であり、必ず一定の恒常性、つまり自浄作用が働いてくると考える方が自然です。さもなくば、人間が実に700万年もの気の遠くなるような歳月を存続することはあり得なかったでしょう。
しかも、こうも幅広く取り上げられ、個人個人にも実感されるほどの規模にもなってくると、そういった広域な規模の、かつ物理的な原因を疑うべきだと思っています。
数年前に話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』といった書籍(犯罪に手を染めてしまう少年少女らの実態について、これまで表に出てこなかった現場目線での考察が生々しく綴られる)でも、似たような理論が展開されているのを読みました。「犯罪に手を出す人間は欲深い」「人間性がなっていない」といった精神論、根性論からの批判が一般的ですが、現実はそんな次元ではなく、非行少年らは「物理的に脳が損傷していたこと」という驚愕の事実が示されている本でもあります。だからこそ焦点を変えた校正プログラムが必要であり、その効果が出てきたという前進的な内容でもありました。
『ケーキの切れない非行少年たち』に乗っかって理論を展開してみるならば、「毒親」に関しても、要するにこれと同じだということを主張してみたいです。
案の定というべきか、子供の頃から何もかも上手く行かなかった私はそのまま所謂「ひきこもり」へと成り果てるわけですが、その中で肉体的な不健康から何度か死を覚悟する思いを経まして、打って変わって健康を意識する生活が始まりました。
日頃、何も考えずに口にしている食品の危険性、それから健康の価値についてを執拗に説き、実際に値段もそこまで変わらず健康的になった食材で調理をしてみせたりを繰り返し、時には私もまた「健康の為なら、死んだって良いじゃないか!」と癇癪を起したりしながら(起こしていません)、家庭内の風潮を少しずつ浸食してゆきました。その過程で両親もだんだんと自ら健康を意識するようになりましたし、癇癪が起きる頻度もだんだん減っていったように思います。もしかすると、加齢によって気力が衰えただけでなく、本当に健康による効果もあったのではないかと疑ってます。
東洋思想では「全ての問題は脳や内臓に溜まった毒素から来ている」とする見方がありますが、実際に、健康を意識した食材を家庭に増やさせる小細工によって、親の精神状態は過去に比べて安定してきているように思います。今でもたまには癇癪を起こしたり、病的な振る舞いをすることはありますが、以前に比べれば明らかに量も質もマシなのです。すると「毒親」の本質とは決して比喩ではなく、本当の意味で毒親、つまり「脳や内臓に毒素が溜まっている親」なのかも知れません。人体は肌から吸収したり、呼吸器から吸収したりとなかなか複雑ではあるのですが、中でも特に食事に因る影響は大きく、ここから正してゆくのが一番効果的だと思います。
両親に対しては「お前たちが毒親だったせいで人体が損傷してしまった」という怒りや憤りがあることは事実です。しかしそのまた親も確かに一方は毒親被害者でしたし、そもそも現代社会の至る所が人体が損傷するような仕組みに成り果てている為、仮に私は健常な親の元で生まれ育ったところで、結局は肉体が壊れて、同じくひきこもりか、もっと酷い状態になっていた可能性もあります。だからと言って、「毒親は悪くないのだから、許してあげるべきだ」などとは毛頭思いもしません。
そもそも「社会は物質的な毒に溢れている」という実感も「ここは地獄のような場所だ」という実感も両親には欠如しており、意識が低かったが為にいつまでも毒親を続けていたのです。非常に愚かで不真面目だったと言えます。そのせいで私が毒親から受けた傷や、憤りを完全に忘れ去ることはこの先もなかなか難しいでしょう。
同じく毒親被害を受けられた方の中には「毒親を殺害する」という発想を持たれる方もいらっしゃると思いますが、こちらが更に多くのものを失うことになるため非推奨です。我々は毒親にこれ以上多くを奪われるべきではありません。どの道、親とはこちらよりも先に寿命を迎えて死ぬ筈なので、それまで見下しておくのが吉です。いざという時に見捨てることや、縁を切るといった選択肢もなかなか良いものではないでしょうか。
私の場合、「憎悪や殺意はひたすら深く研ぎ澄ますべきである」という考え方をしています。この世に毒親が生まれない、存在しない社会システムを実現することこそ、最も巨大な復讐になるのではないでしょうか。これは悲劇を終わらせるということでもあります。一方で、自制心が強く心の優しい男女には次々と結び付いていただくわけです。その先に、一人でも多くの子供を平穏へと送り届けられることが望ましいです。
毒親被害を終わらせるために、社会の在り方を変える。世に溢れる毒素を取り払い、本来の健康な親子関係を地上に蘇らせる。こうした切望が出来るのは、理不尽にも自らが毒親の被害に遭い、深い憎悪や悲しみを抱えている人間だからこそではないでしょうか。これを単に己の人生に受け継がれた呪いで終わらせるのか、呪いを「力」に変えて戦い始めるかは、大きな分かれ目になってくる筈です。
人体の未発達(主に脳の)に関しては、20代に入りたての頃からうっすらと自覚しておりました。そして、ひきこもりに陥った後にネットを通じて他者とのやり取りをさせていただき、健康を意識した生活を試みる中で、これが明らかに改善している感触を味わえたのです。かつては「他人と関わるくらいなら死んだ方がマシ」と思うくらい、コミュニケーション能力に欠陥があった筈の私が、今では自ら他者との関係を求め、物事に対する自分の意見や感想を持ち、それを言語を用いて最低限は表現できるようになりました。
『運動脳』という書籍でも脳が後天的に回復することが示されていましたが、己の人生を振り返ってみてもこれは実感されることです。特に、手や足を動かすなど運動を伴う行動の継続により、脳は幼児の頃のような可塑性(柔らかく、変形可能であること)を取り戻し、再生、または最適化を行い始めるのだそうです。事故で脳の片方を欠損してしまった重度障害の方でさえ、この仕組みによって回復した事例が記されていました。つまり、毒親から引き継がれた「呪い」も解くことが出来る筈なのです。
まだまだ課題が多く、人並みに出来ないことの方が明らかに多いこの人体ではありますが、己が被ってきた数々の理不尽と、世の毒親被害を見て否が応でも生じる憎悪をより大きく育て上げ、更に深く研ぎ澄まし、広域的な「人体の回復」を何らかの形で実現してゆくことが私の夢です。
かつて「まだありません」だった私の夢は、ようやく見つかりました。