灰の舞う朝の晴れ間

鹿児島。第二の故郷。今現在、最も人生に占める割合の大きい場所。

12歳で入寮し、18で卒業するまでの間、代えがたい経験しか提供してくれなかった場所。

友人と同じ釜の飯を食らい、生涯の師と出会った場所。

思想の根幹が形成された場所。

どのような言葉をもってしても適切に表すことはできず、断片的に紡いだ言葉を共通の意識が補完することで、関係者にのみ鮮やかなシーンの再生が許される。青春であり、幻のような現実の世界。

あの鮮烈な記憶を追体験することはもうできない。

寮・下宿、授業、部活、体育祭、etc... 全てが欠かせず、余剰なものもない世界だった。合宿中、夜中まで麻雀をやった次の日の朝、ほとんど寝ないまま校庭でしたバレーボール。試験前日にトイレの前で鳥刺しをつつきながらバカ話した高3の秋。何気ない日常の一コマさえ、5年たってなお今の自分に意味を与えてくれる。

自分と違う他者がいた。彼らはお互いが違っていることを誇りに思い、切磋琢磨していた。いうならば「他人と違うこと」こそが共通のアイデンティティだった。

互いが互いに「面白くあること」を要求していた。面白くないやつがバカにされ、誰もが面白くあるために必死だった。一人一人が個としてユニークだった。

あの環境を日常的に提供してくれる場は今の自分にはもう存在しない。

自転車に積もった灰を払い、あの母なる島を背に走り出してしまったあの日を境に。

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