生き辛さに息詰まり、吐きだす事にした。①
初めまして。shinoと申します。
平成生まれのオタク女性です。普段は140文字制限の某SNSを使用し日常やらオタク的なことを諸々呟いている人ですが、元々長文を書くのが好きなことに重ね以前からnoteに興味があったことからふらっと初めてみることにしました。
しかし初投稿の癖にそのタイトルはどうなんだと言う感じですが。
溜めているものを少しでも吐き出せば楽になるんじゃないだろうかという思いから、自己紹介がてらに自分の今までの人生を綴らせて頂こうと思います。ほぼ自分語りにみたいなクソデカ独り言。
1.幼少期から感じた生き辛さ。
小さい時から、私は臆病で人見知りが激しい子だったなと言うのは何となく覚えています。交友関係は狭く、一人で遊ぶことも多かったと思う。
そんな物静かで、人見知りで、目立たない私に人生初のトラウマとなる出来事が起こることとなります。それは「卒園式」での出来事でした。
私の通っていた幼稚園では卒業する園児達がひとりひとり壇上に立ち「将来の夢」を発表するというイベントがありました。(他のところでもありそうですが)当時6歳の私は「うさぎになりたい」というもう既にいやもうその歳で転生予定してるんか~いというツッコみが入らんばかりの昨今流行りの転生ものを先取りしていた可能性のあるキッズだったのですが幼いながら「いやこれを皆の前で言うのはヤバイ」と感じ2番目の夢だったキャビンアテンダントを言うことにしました。今思い返すと随分立派な夢持ってたんだなあ。
壇上で園児たちが次々と自分の夢を言い終わり、やってくる自分の番。沢山の園児や保護者、先生達を目の前にして私は
言葉が、出ませんでした。
沢山の人を目の前にして、酷く緊張してしまい、声が出ませんでした。園児達からは「早くしろよ!」とやじを飛ばされ、先生方や保護者も沢山困らせてしまっているのに どうにかしなきゃって思っても、十分以上経っても言葉は出ることなく私は当時担任だった先生に回収されて最悪な形で幼稚園を卒園する事となりました。家に帰れば両親にこっぴどく叱られ、大泣きしたことは今でも覚えています。
2.デジャヴする卒業式
そんなこんなで小学生になり大きくなったら改善されるんじゃないかと私も両親も思いましたが、結論から言うと私は小学校時代も一度もスピーチ・作文の発表ができないまま卒業する羽目になりました。でも奇跡的に、酷いいじめを受けることはなく(あいつまたサボってやがる!みたいなのはちょこちょこありましたが)小学校時代はそれとなく楽しく過ごしていました。理解のあるクラスメイト教師に恵まれたんだろうなあとしみじみ。一応誤解を解かせてもらいますと、作文やスピーチ原稿などの作成はちゃんとしていました。それを人前で言うことが、できなかっただけで。
流石にあの卒園式から歳を重ねていたので、このままじゃヤバいのではと危機を感じて両親に相談したこともありますが「努力が足りないだけ」「もっと頑張りなさい」と根性論を押し付けられてしまい、私もそうなのかなと思って緊張しない方法を友人などから聞いて改善を試みた結果、なんと!委員会で初めて自己紹介することができました。ただ名前を言うだけのことかもしれませんが、それでも私にとっては小さいながらも大きな前進で、出来たことが本当に嬉しくてその日は足早に家に帰り母親に初めて人前で自己紹介できたことを嬉々として伝えたのですがその時の母親の返しの一言に大きくショックを受け、酷く落ち込むことになります。
「それぐらい出来て、当たり前だからね」
子供ながら、努力を一気に否定されたような気がしてとても落ち込みました。母親は決して貶した訳ではないかもしれません、それでも長年人前で話せないことに悩んでいた私の小さな全身を真っ向から否定された気がしてそれ以降、小学校時代は悩みを母親に打ち明けることはありませんでした。
それから月日が流れて、卒業式。前年に六年生の卒業式を見届けているので卒園式同様に「将来の夢を発表する」というプログラムがあることは知っていました。自己紹介も出来たし、今度こそはと思って挑みましたが結果としては、ダメでした。卒園式の再来と言わんばかりにまたも夢を言うことができず、担任の先生に代弁をしてもらい卒業式を終える運びとなりました。ちなみにこの時の夢は小説家でした。キャビンアテンダントどこ行った?
3.最悪の中学時代
中学ってどうしても、多感な時期になりますからね。陰キャかつ相も変わらず人前で発表できない私は、いじめの対象となりました。中学恐ろしい。私の通っていた中学は別の小学校から来る子も居たので緊張しながらも仲良くなれたらいいな、なんて朧気に考えていて、当然自己紹介はあるだろうから奮起していたのですが入学式でクラスが決まり、そのクラスに足を運び席に着いた時でした。斜め後ろの席のクラスメイトが隣の席に座っていた別の小学校から来た生徒にこう声をかけたのです。
「こいつ、卒業式で人前で発表できなかったやつw」
この言葉に完全に、出鼻を挫かれましたね。見返してやるぞという気も起きなく最悪のスタートを迎え悪目立ちする羽目となりました。奮起できなかった自業自得もあるかもしれませんが、言葉って刃物より鋭いんですよ。その言葉は明らかに悪意しかありませんでしたからね。
ですが母親には相変わらず普通であることを求められ続け、学校に行かざるを得なかったので不登校にはなりませんでした。ですがやはり、教室に行くことが困難な時は勿論あったので保健室に行かせて貰ったり、両親が共働きなことを逆手に取って仮病で早退したりなどして「親にバレない範囲で」自衛のために逃げ続けていました。それでもやはり学校そのものには行きますから、見かけられる度に容赦なく心無い言葉が飛んでくるんですよね。
しかし高校受験が翌年に迫り、高校生になるんだからどうにかしないとと一度奮起。明らかに普通じゃないしなこれと。その頃丁度友人が心の病院に行ったこともあって病院を紹介してもらい、場所を教えてもらい親に連れて行ってもらえないかと頼んだのですが
「お前は普通だから、そういう病院行く必要ないよ」
まあ、なんとなく予想はしていたけれども…という感じでしたね。救いの手はいつでも掃われる。中学生でお金もありませんし、自力で行くこともできないですからね。校内にスクールカウンセラーがいてカウンセリングもあったけれど、なんでか受けられなかったんだよなあ。もう覚えてないや。
そんな学校生活の中、積もりに積もったストレスはついに爆発。頑張れない自分が悪いと自責の念に押し潰されて中学三年生の時に初めて自分の体を傷つけました。思い返せば思い返すほど、こうなる前にどうにかできたらよかったなと今でも後悔しています。誰か気合いでタイムマシン開発してくれないかな。卒業式は個人での発表みたいなのはなかったから、とどめは刺されなかったけれどそれでも卒業アルバムの顔写真が一番しんでるのを見ると、中学ろくでもなかったなって今でも思い出してしまう。
綴っていたら思っていたより長くなってしまったので一旦区切らせて頂きます。続きは近いうちに。
ここまで聞いてくれた方、ありがとう。
(後編はこちら)
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