ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブから21年が経った。

行ける環境にはあったのに、行けずに後悔が残ったライブが私には3つある。

チャットモンチーの首都圏初の自主企画イベント(チケット購入したのに体調不良で不参加)、スーパーカーの解散ライブ、そしてミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブだ。

2023年10月11日の幕張メッセ。今から23年前、私は大学1年生だった。当時、私はまだ「ライブ」と名のつくものに行ったことがなく、首都圏在住ながら「ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブに行く」という選択肢を持てていなかった。ミッシェル・ガン・エレファント解散後、少しずつチバユウスケという人間の人となりを知るにつれ、「ああ、私は当時、ミッシェルの解散ライブに行こうと思えば行けたんだな」と後悔の念を抱くようになったのだ。

ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブの映像は、DVDとして残っている。だが2023年11月にチバユウスケが亡くなった後、ライブ映像が都内の映画館で上映されることになった。上映期間中、どうしても行くことが叶わなかったのだが、都内を中心に、いくつかの映画館で再上映が叶い、ようやく足を運ぶことができた。

「爆音」と称するに相応しいほど、映像の彼らは躍動し、強烈な音を鳴らし続けていた。本編の彼らは、文字通り汗を垂らしながら、観客の前で歌い続けていた。

ミッシェル・ガン・エレファントの特筆すべき点は、挙げればキリがない。「キリがない」という言葉は、実はリストアップする労力を割きたくないか、言語化する能力がないことの言い換えであるかのどちらかであるわけだが、私の場合は後者である。ミッシェル・ガン・エレファントの特筆すべき点って、何だろう。改めて問われると、グッと言葉に詰まってしまう。

ヒューマントラストシネマ渋谷の前方列で、人知れずヘッドバンキングしていた私。そのとき、ふと気付いたことがある。

ああ、ミッシェル・ガン・エレファントって、個々が独立しているバンドなんだなと。

チバユウスケ、アベフトシ、ウエノコウジ、クハラカズユキ。

ライブ中、彼らが直接交じる瞬間はない。目線でさえ、最小限のコンタクトに留まっている。バンドメンバーに合わせるのでなく、可能な限りの最大出力の「音」を鳴らしている。その結晶が、ミッシェル・ガン・エレファントの音楽になっているのではないだろうか。

そんなふうに思った。

映画では、デビュー当時の映像もいくつかインサートされ、メンバー同士の仲の良さも伝わってきた。ちゃんと互いにリスペクトがあって、コミュニケーションも問題ないんだよという演出上の意図なのだろう。それは、なるほどである。

映画の終盤に「ミッシェルは独立国家、だけど4人一人ひとりが独立している感じ」という言葉があり、ああ、まさにその通りだと感じた。

ミッシェル・ガン・エレファントというバンドは、誰とも似ていない。資本主義社会の中で呑まれておらず、とにかくロックというサウンドを鳴らし続けている。

ディスるわけじゃないけれど、ミッシェル・ガン・エレファントを語る文章のほとんどが、どこか言葉が上滑りしている。彼らのライブを観て「涙が止まらなかった」とか、「彼らの音楽があるだけで世界は信用に足る」とか、その辺はさすがに言い過ぎだと思う。だけど、「言い過ぎ」てしまう理由が分かるほど、ミッシェル・ガン・エレファントの前では、世界はわずかな希望がちゃんと灯っているような気分になれるのだ。

解散ライブから21年。ギタリストのアベフトシの死から15年経ち、そして間もなく、チバユウスケの死からも1年が経とうとしている。時の流れは早い。

音楽というのは、とても良いものだ。
だが、たぶんそれは、「ミッシェル・ガン・エレファントのような強度があれば」という条件付きのものだろう。

世界の終わりはまだやって来ないけれど、世界の終わりに向けて、私は私なりの手段でロックを奏で続けたいと思っている。

#ミッシェル・ガン・エレファント
#THEEMICHELLEGUNELEPHANT

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堀聡太
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