泉健太さんに、僕は呆れている
2年前の9月、僕はこんなタイトルのnoteを書いた。
自己評価の高すぎる政治家は信頼できないなという感覚が、ちゃんと2年前にも記せていたんだなと思ったりする。(マイナンバー関連であれだけのミスをおかして、よく分からないツイート遊びができる神経をまじで疑っています。有権者はもっと怒った方が良い)
と。
当時も、やや感情的になってしまったなと思ったのは事実だ。身を削るように政治の世界で、当事者として活動している人たちへの敬意は持っていなければならない。
しかし、僕だって有権者のひとりだ。色々な方法で政治参加する権利は持っている。愚痴に近いような意見であっても、自分の気持ちを表明する権利はあるはずで。
ただ2年経って、同じようなタイトルのnoteを書くことになろうとは、予想もしていなかったのが本音である。その相手は、立憲民主党の党首、泉健太さんだ。
きっかけは、このツイート。
何に呆れているかというと、「是々非々」という言葉を使っていることだ。
別に四字熟語に著作権はないけれど、「是々非々」というのは日本維新の会が好んで使用している言葉だ。元代表の松井一郎さんをはじめ、ほぼ全ての維新の政治家が使っているわけで、ほぼキャッチフレーズといって差し支えないだろう。
維新のことを褒めるわけではないが、端的なフレーズを繰り返し使用するのはマーケティング上も有効だ。(ル・ボンは『群集心理』で、同じ言葉を繰り返し使用する政治家への警鐘も鳴らしている)
正直な気持ちをいうならば、そもそも是々非々なんて、「当たり前だろう」という思いがある。良いことは賛成し、悪いことは反対する。そんなの当然なことではないだろうか。それを、さも良さげな意思決定をしているという「戦略」が見え隠れするのを、ここ数年は苦々しく感じてきていた。(まあ、それは各政党が決めるべき方針なので強く批判するつもりもない)
しかし泉健太さん、他党のキャッチフレーズ的な言葉を、野党第一党の党首が使うのはいかがなものだろうか。躊躇する気持ちは、微塵もなかったのだろうか。
言葉は言霊であり、それは特に、言論で政治を推進していく立場の政治家には最も重要なツールである。常にリーダーシップを発揮しなければならない立場の人間が、「他人の真似」をするような態度を衒いもなく示していて、誰がついていこうと思うだろうか。(※「ついていく」という言葉が正しいかはさておき)
政治家なら、あるいは優れたリーダーなら、自分の言葉を持つべきだ。
他人の言葉ではない、自分の言葉を伝えるべきだろう。
もちろん、分断の時代において、大衆の心を打つ言葉を見つけるのは難しい。だけど少なくとも、他人の真似をするような態度を示す政治家を、支持したいと思える人などいるわけがない。
僕はリベラルを自認する人間なので、泉さんのツイートには呆れるしかない。こんなんで、本当に野党第一党として自民党に対峙する気概があるのだろうか。
頑張ってほしい気持ちはあるが、急速に気持ちが萎えている。
たぶん、それは僕だけじゃないはず。泉健太さん、そのことを自覚するつもりはあるだろうか。
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