その人の、新しい持ち味を引き出せるか。
昨日、映画「すばらしき世界」についてのnoteを書いた。
物語(ストーリー)の良し悪しとは別に、普段、僕が映画を鑑賞していて「いいなあ」と思うことを紹介したいと思う。
それは、キャストが過去作で見られなかったような演技や役柄に挑戦していることだ。それは言わずもがなキャストの努力の賜物でもあるのだが、キャスティング担当や映画監督など、関係者の意思の総意の証だと僕は感じる。
例えば「すばらしき世界」には、六角精児さんが出演している。
六角さんは、スーパー店長の松本を演じていた。元ヤクザで殺人罪として服役していた三上に対して躊躇せず「万引きしましたね?」と声を掛ける。だが彼の勘違いだったことが判明すると平謝り、対話を重ねていくと実は三上と同郷の出身で、それ以来、カジュアルに声を掛け合う仲になるという設定だ。(お互いを信頼する「友達」のような関係性になっていく)
僕は六角さんが出演している作品を全て観ているわけではない。けれど六角さんの印象は、ちょっと風変わりな役を演じていることが多い俳優という気がする。若干マニアックな役だったり、社会に対して斜に構えていたり。六角さんが登場することで、いわば不穏な雰囲気をつくることができるのが彼の持ち味ではないか。
だが、「すばらしき世界」で松本を演じた六角さんの目は、いつだって優しかった。「もうよか!偽善者と付き合うつもりはない!」と激昂する三上に対して、「今日は三上さん、虫の居どころが悪いんだね」と優しく諭す。突き放すことはしない。本気で三上のことを気に掛けている人物だ。
記憶の限りにおいて、六角精児ほど優しく誠実な演技ができる俳優を僕は知らない。
映画やドラマの作り手は、セオリー通りに考えるならば、「なるべくリスクを減らした」上で作品を作ろうとするだろう。人気のある俳優を主役に据え、筋の良い脚本を用意し、センスの良い撮影監督や美術監督をアサインする。俳優の演技とは、演出のひとつだ。だから作り手がイメージするような演出を俳優に求め、俳優はそれに従いながら持ち味を発揮するのが通常の流れだろう。
だが、監督・西川美和はそうしなかった。
六角精児には、普段僕たちがイメージしている「印象」とは、別の表現ができる俳優だ。そう信じ、六角さんに役を与え、六角さんはそれに応えたのだ。
六角精児さんに限らず、10分ほどの出演だった長澤まさみさんも、嫌味とプロ根性のあるテレビプロデューサーを堂々と演じてみせた。演出としても抜群に上手く、“あのシーン”があったからこそ、映画に「変化」をもたらすことができたと僕は思う。
良い人を演じてきた俳優には良い人の役を。
悪者役を演じてきた俳優に悪者役を。
極端なことをいえば、誰だって考え得るキャスティングだ。でも、そのアウトプットは作り手が想像したもの以上になることはない。
大事なことは挑戦である。
従来のイメージを覆し、その人の新しい持ち味を引き出すこと。
キャスティングに限らず、「挑戦」を恐れない作り手を僕は心から尊敬するし、信頼を寄せたいと思うのである。
記事をお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただくのも嬉しいですが、noteを感想付きでシェアいただけるのも感激してしまいます。