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たいたいたい。

今日はライティングに苦戦した1日だった。

自分の知識や経験をフル動員しても、記事の本質を見出すことができない。構成案も書いては消し、書いては消しの連続だった。散歩して気分転換しようと、仮眠をとろうと、モヤモヤは消えなかった。

……ということで「産みの苦しみ」と題したnoteを書こうと思った。

キーボードに向き合ったとき、「あれ?過去こんなテーマで書いたことなかったっけ?」と検索したら、以下のnoteがヒットした。2019年、まだ前職に所属し、ひとり人事として奮闘していた頃。

「心に余裕をもつこと」というタイトルのnoteを書くとき、おそらくその人は心に余裕をもっていない。丁寧な暮らしを志向するとき、粗雑な自分を忌避しつつも、自己肯定できないことに対するわずかな罪悪感も抱いている。

そんな推察を試みるまでもなく、たぶんあのとき、私は何かを失おうとしていたんだと思う。周囲の頑張りに対して、努力の量は変わらない(気がする)のに、どこか置いてけぼりを感じることがある。現状維持でいいのか、かといって新たなブレイクスルーも見出せないとき。その1年後に次男が生まれ、さらに1年半後に起業を決意する。

そんな変化を、当時は予期していなかった。予期できるわけもない。

僕は、素晴らしい文章を書きたいと思う。それと同じくらい、句読点をきちんと打てる人でありたいと思う。

こんなことを5年前に書いたが、ドキッとする文章だ。いまの私だって、そうありたいと願う。そうありたいと願うけれど、どれくらい近付こうと“実際の”努力をしていただろうか。

最近はちょっとした突破口を見出したつもりだったのだけど、今日また振り出しに戻った気もして。振り出しじゃないと信じたい。三歩進んで二歩戻った、トータル一歩だけ前進したということにしたい。

やたらと今日は、「〜たい」が多いな。

いやたぶん、最近ずっと「〜たい」が多かったんだと思う。自覚症状がかろうじてある。ちょっと格好悪いね。

できるだけ、なるたけ、かっこよくありたいのだけど。たいたいたい。

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ほりそう / 堀 聡太
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