「アメトーーク!」がほんとうに、末期的に面白くなかった理由
ちょっと毒を吐く。(私は真っ当な批判だと思っているが、便宜的に「毒」と表現する)
バラエティ番組「アメトーーク!」の最新エピソードである「アメトーーク!にハマってない芸人」が、ほんとうに、末期的に面白くなかった。
どんな回だったか。
「アメトーーク!」に“ハマっていない”といわれているインパルス堤下さん、ダイノジおおちさん、トータルテンボス大村さん、バイク川崎バイクさんが出演。彼らが”ハマっている”といわれている芸人に、“なぜハマっていないのか”を諭されるという構造だ。
まず始めにことわっておく。対立構造として“ハマっていない”芸人を諭していた品川庄司の品川さんや、ウエストランドの井口さんの振る舞いは、番組に請われた立場として、真っ当なものだったと思う。期待された役割を、期待された通りに“演じた”に過ぎない。
そして前提として、私は“ハマっていない”といわれて、諭されていた4人のことが好きだ。好きだからこそ(嫌な予感がするな、と思いつつ)番組を観たわけだが、嫌な予感は想像以上で、ただただ不快感を抱いた。
まあ、4人の大好きな芸人が揃い踏みしたということで、私は嬉しくもあったのだが。
「アメトーーク!」というブランド価値
そもそも「アメトーーク!」は、テレビ朝日で20年以上続く長寿番組である。2021年にお笑いコンビ「雨上がり決死隊」が解散した後も、蛍原徹さんによる単独MCとして現在も続いている。
「○○芸人」といった言葉を生み出したのも「アメトーーク!」であり、テレビプロデューサー・加地倫三さんの先見の明によって続いてきた番組といっていいだろう。
この番組が巧みだったのは、人気上昇につれ、番組を神格化していったことだろう。そのひとつが、年末恒例となった「アメトーーク大賞」というもので、番組の中で活躍した芸人を表彰するようになった。いち番組が、ひとつの権威として成り上がった証であり、そのフォーマットが生まれたときは天才かと思ったが、さすがに20年近くも続けば形骸化してしまう。
フォーマットに沿った言動を「正」とする番組方針
前述した最新回では、「可愛げ」という言葉がひとつのキーワードになった。
MCや番組スタッフに可愛がられるタレントが「正」とされて、どこかイジられづらい堤下さんや大村さんは、「アメトーーク!」の中では異端とされる。「異端」というのは、ある種の褒め言葉のはずだが、“ハマっている”芸人たちは口々に異端であることの問題点を指摘する。
これが、地獄だと思った。
かつて学校では、快活で明るい児童が良しとされた。(今もされている?)
ただ、別に運動が不得手だって、話し下手だって、サブカルチャーが好きだって、それぞれの正しさがあり認められるべき存在であろう。「可愛げ」があったら良いかもしれないけれど、「可愛げ」がなくたって生きていける。事実、最近の若手芸人は「可愛げ」がなく、己の道を突き進む人たちがたくさんいる。
そんな彼らは「アメトーーク!」にはハマらないだろう。否、「アメトーーク!」にハマりたいなんて、1ミリも思っていないのではないか。
それでも「アメトーーク!」にハマることを推し進めるのか
今回の、「末期的な面白くなさ」というのは、「アメトーーク!」が、「アメトーーク!」自身を肯定する企画だったことに尽きる。そこに、自分自身を批判する姿勢は微塵も感じられない。
確かに、「アメトーーク!」の好きな人は楽しめるだろう。自分が好きな「アメトーーク!」の良さが、”ハマっていない”芸人というフィルターを通して見える化されたわけだから。
だが、はっきり言って、自分自身を批判できないクリエイターは、もはやクリエイターとして存在する意義がないのではないか。自ら変化することを放棄したといっても過言ではない。
おれは、「アメトーーク!」が好きだった
実は私は、「アメトーーク!」が好きだった。
それは、「アメトーーク!」以外で、日の目を浴びていなかった芸人が、「アメトーーク!」に出演すると、途端に生き生きすることがあったからだ。かつて芸人から嫌われていたという品川さんも、「アメトーーク!」特集回をきっかけに変わった(と本人も言っている)。
そういう変化が観られるのが楽しかった。それは、なかなか上京したての大学生として、あるいは社会人として、周囲とうまくコミュニケーションを図ることができなかった自分とも重なったのだ。
自然と、勇気づけられていたのだと思う。
今、私はほとんど「アメトーーク!」を観ることはない。TVerでお気に入り登録はしているけれど、前述の理由もあって、あまり触手が伸びないのだ。
でも、かつて勇気づけられていた記憶は揺るがない。ああいう娯楽は、たぶん今の世の中にもきっと必要ではないか。
「可愛げ」なんてものがなくても、人間は生きていける。それを証明してくれたのが、他でもない「アメトーーク!」だったのだから。