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なぜ僕は東京都民なのに、東京オリンピック・パラリンピックに何一つ関与していないのだろう。

今日はポエムのようなnote。(なるべく愚痴にならないように)

公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、組織委員会)の次期会長選びが混迷を極めている。様々な意見がある。確かなのは、東京オリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)を巡っては「どうしてこうなっちゃうんだろう?」と思うことが多いということだ。

僕自身がモヤモヤ考えていたときに、一つの大きな疑問は「なぜ僕は東京都民にも関わらず、オリパラに何一つ関与していないんだろう」ということだ。突き詰めるほどに大きな悲しみを伴っている。

それは組織委員会や東京都庁、スポンサー企業への勤務やボランティア参加といった直接的な関与のことではない。どんな些細なことでも良いので、何かしらオリパラに関してビジョン立案や企画、運営等に携わりたかった。

もちろん僕の力不足、という側面もあるかもしれない。だけど力不足を理由に参加できないのは公平なことなのだろうか。どんな立場だとしても、オフィシャルな形で意見表明するくらいのことはできるはずではないだろうか。

そのような手立てはなかったのか(それを知らなかっただけなのか)という、シンプルな問いだ。

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オリパラ招致の際から、残念ながら大多数賛同は得られていなかった。そういった背景にじわじわと引き摺られ、そしてコロナウィルスが決定打となり、現在も反対意見がかなり大きな割合を占めている。

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僕は2008年に北京五輪を現地観戦した。そのときの熱狂は今も忘れられない。

「いつかオリパラに関与できたら良いな」と願っていたが、その思いは実現しそうにない。(まあ、今の仕事はそれなりに楽しいので決して悲観しているわけではないのだが)

そんな中、千葉市長の熊谷さんが「オリパラと多様性の関係などについて」とFacebookで発信していた。「2020年で終わりの線表を引くのではなく、2021年以降も入った線表を作り、オリパラ後に何を残せるのか」という言葉にハッとした。(ぜひ全文を読んでみてください)

【オリパラと多様性の関係などについて】 私はオリンピック・パラリンピックは単なる一過性のイベントではなく、日本社会をどのようにアップデートするかが鍵だと考えてきました。 単に海外から多くの人が訪れてスポーツで多くの人が感動する、その経済的...

Posted by 熊谷 俊人 on Thursday, February 11, 2021

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今回のオリパラには「大会ビジョン」が制定されている。

1964年の東京大会は日本を大きく変えた。2020年の東京大会は、「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、「そして、未来につなげよう(未来への継承)」を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会とする。
(TOKYO2020「大会ビジョン」より引用)

つまり僕らは、オリパラをきっかけに、多様性と調和をベースにした共生社会を作らなければならないのだ。

2021年1月18日、菅首相は施政方針演説の中で「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と述べた。

もちろん大会ビジョンの実現を「前提とした決意」だとは思う。多岐にわたる項目を網羅しなければならない演説ではあるが、ここで「多様性」という言葉が一度も出てこなかったのは残念だ。

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やや話が脇道に逸れた。

改めて、どうもオリパラに向けて機運が上がらない理由を考えてみたい。

「国民の殆どは、声をあげないだけで、オリパラが始まったらお祭り騒ぎになるよ」ということを言う人もいる。それは確かにそうだろう。だけどお祭りとしてのスポーツイベントで、僕らは満足なのだろうか。本当に良いのだろうか。

理想論に過ぎないのかもしれないが、オリパラを通じて、僕は都市づくりに参画できたかもしれない。

無事オリパラが開催されたら、海外からたくさんの人たちがやって来る。「おもてなし」と共に、東京が示す新しい都市のあり方を提示できるかもしれない。

だけどそのプレゼンテーションには、僕は何一つ関与していない(関与した実感はない)。一部の限られた人たちがビジョンを作り、形にしただけだ。

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少し前のnoteで、ノルウェー・オスロ市の都市計画を紹介した。

「交通事故死ゼロ」はリーダーシップの意思だが、同時に市民の意思でもある。なぜなら交通事故を減らすために、自家用車を極力少なくしなければならないからだ。そこには市民の行動が伴う。

さて、僕らはオリパラをきっかけにして、どんな都市を作りたいんだっけ?

女性蔑視は良くない。それは誰にでも分かる。
でも、それってどういうことなんだろう。どんな具体的なアクションを取らなければいけないんだろう。

それは多分にして、意思決定プロセスと関わりがある。かつては僕たちの意思を政治家に委ねるのが合理的だったが、今では僕たちの意思を全面的に委ねるのは難しい。支持政党できっちり意思を切り分けることができない。(自由民主党は概ね支持しているが、選択的夫婦別姓制度の導入に後ろ向きな自由民主党にはガッカリしている。そういうことが多くなってきているのではないかという仮説だ)

そんなことを、ちょっとだけ真剣に考えてみたら、案の定長くなってしまった。今からでは遅いのかもしれないけれど、改めてオリパラ開催の意義を「みんなが」考える時期なのではと思っている。

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堀聡太
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