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国立オペラ座で鑑賞した、バレエ「海賊」が最高だった

もともと10連休はプラハを中心にのんびり旅行する予定だったが、せっかくなので3日間ほどウィーンにも滞在した。プラハから特急で4時間弱、電車の中には誰でも使えるWi-Fiもあるし、飲食の持ち込みもできるし、煩わしい入国審査もなく快適な鉄旅で移動することができた。
(ちなみにこのエントリも、プラハ行きの特急列車のWi-Fiを利用して書いている)

ウィーンでのメインイベントは、やっぱり夜のエンタメ。
学友協会でのコンサート「Wiener Symphoniker」、国立オペラ座でのバレエ「Le Corsaire(海賊)」を二晩続けて鑑賞する機会に恵まれた。それなりに値段は張るけれど、日本からもさっくり予約できます。(旅行代理店のパック旅行との価格差は分からない。英語さえ分かれば正規の値段でチケットを購入できます)

実はプラハでもコンサートを鑑賞したんだけど、ウィーン交響楽団の演奏は格段に良かった。マエストロが指揮棒を振り、シンフォニーが奏でた一音から心を奪われた。立ち見席では数ユーロでも楽しめるわけで、ウィーンに長期滞在したら何日も通い続けてしまうなあと。幕間で軽食やアルコールを楽しむ習慣があり、同行した妻と母とで、それっぽい交流の時間を楽しむこともできた。

白眉だったのは、ウィーン二日目に訪ねた国立オペラ座でのバレエ「海賊」鑑賞だ。僕はもっぱらロックばかり聴いてきた人間なので、正直クラシックやバレエなどの伝統芸能には詳しくないのだが、中規模の管弦楽団を率いての舞台は本当に素晴らしかった。
彼らの演奏が序章として始まった後、悠に200人は乗りそうな広い舞台を翔けるダンサーたち。「海賊」というのは全世界においてオーソドックスな演目で、僕自身も日本で観劇したことがあるのだが、幅だけでなく奥行きもある舞台で繰り広げられる「海賊」はまるで違って見えた(質が良い / 悪いということでなく)。たぶん奥行きも含め自由に使えるスペースがあるからだろう、同じ回転数のはずのピルエットも、見え方がまるで変わって見えた
国立オペラ座の公演ということもあってか、観劇中ずっと生演奏が為されていた。ダンサーの一挙手一投足と演奏の一つ一つが絶妙にシンクロしていて、伸び伸びとアウフヘーベンされる舞台芸術は、ウィーンをウィーンたらしめる豊かな文化醸成の証。

モーツァルトもシューベルトもヨハン・シュトラウスも、そんな中で一千年続く音楽を生み出してきたのだなあとしみじみ感じ入った。

ちなみにこの日のチケットは早々とソールドアウト。
半月前くらいに予約しようと試みたときに、既に端席が二つしか残っていない状態で、首を思い切って傾けても全貌が見えないような「残念な」席だった。幸い、前方に座っていた壮年の紳士&淑女が優しい方々で、僕を前の方に誘ってくれたので(立ち見ではあったが)舞台の半分くらいは観劇することができた。

最近になって、知り合いの舞台女優のお誘いもあり、何度かミュージカル観劇の機会をいただいているが、生の舞台というのは「息遣い」やら「演者の興奮」やらがダイレクトに感じられて、文字通り生々しい迫力がある。
2008年にBunkamuraシアターコクーンで観た「上原ひろみx熊谷和徳 Out of Control」はその真骨頂で、たった二人だけの舞台の上で繰り広げられる熱演は、セクシャリティというか、まさに「セックス」そのものだったと強烈に記憶している。

結局、僕という未熟な人間は、直接経験しないことには物事の善し悪しに気付かないんだなあと思う。
逆に言うと、直接経験した物事に関しては、言葉足らずではあるものの、その熱狂を人に伝えることができて(伝わるかどうかはさておき)、その伝達したという事実にニヤニヤしてしまうようなタイプなんだろうと思う。

どうやら、そろそろ10連休は終わってしまうらしい。
代わり映えしない日常や仕事が待ち受けているけれど、そんな中で、物事の善し悪しを新規で見出せるような経験をどれくらい積むことができるか。三十代も半ばに入り、人生の全てがルーティンになりそうな中で、意識的にchallenge & exploreしていかないと成長はありえないんだろうなと思った次第です。

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ほりそう / 堀 聡太
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