死ぬためではなくて 何かのために生まれた
ガザ戦闘1年。
アーティストの七尾旅人が歌う「Two Palestinians」を聴きながら、勝者不在の戦争の行方に思いを馳せる。
否、勝者は不在だが敗者は多数だ。毎日新聞の社説が言い切っているように、イスラエル、そしてパレスチナの名もない市民たちは「戦争はもうたくさんだ」と嘆き、そして大勢の市民は命を落としている。
被害の甚大さを、私たちは無意識のうちに数値で判断している。だが、たとえたった1人の死者であっても、痛ましい被害として見なすべきだろう。その想像力が、ロシアによるウクライナ侵攻や香港の民主化デモの弾圧など相次いだせいか、社会はすっかり欠落してしまったような気がしてならない。
私が知らないところで、みんなガザ戦闘1年を嘆いているのだろうか。ついぞ、その悲しみを目にしない2024年10月7日であった。
死ぬためではなくて 何かのために生まれた。
何かのために生まれた人たちの惨状に、物的にも精神的にも、連帯の輪を添えることはできないのだろうか。個々は無力かもしれないが、決して無気力になってはいけないと思うのだ。
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