「気候変動」でなく「気候崩壊」
関心はあるのだけど、なかなか情報をキャッチアップできていない社会問題がいくつかある。
僕にとって、そのうちのひとつは「気候変動」に関することだ。夏の気温上昇は歯止めがきかないし、大型台風も珍しくなくなってきた気候変動の影響は多々見られるのだけど、「じゃあ、なにすれば良いの?」と途端に足が止まってしまう。
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東京大学大学院教授の林香里さんが寄稿された、朝日新聞の記事を読んだ。
林さんの専門はメディア・ジャーナリズム研究ということで、気候変動に関する専門家ではない。林さんの立場から語られているのは、気候変動の危険ではなく、気候変動が進むことによって生命が脅かされる人も出てくるといったこと。それを「不平等なことではないか」と訴える。
一部記事を引用する。
記事ではグローバルな課題として捉えつつ、路上生活者も猛暑によって熱中症や皮膚炎等の健康被害が起こりやすい点も指摘している。
冒頭で挙げたような、「じゃあ、なにすれば良いの?」という問題意識に応えるものではない。
「気候変動って、こんなリスクがあるんだ」だけでなく、「既に、気候変動によって甚大な被害を受けている人がいる」という観点を持つこと。個人の「自分ごと」に引っかかるポイントは人それぞれだが、少なくとも僕は「気候変動が格差を生んでいる。それってマイノリティが更に追いやられるってことじゃないか」と危機感が募るきっかけとなった。
ぜひ、興味ある方は、実際の誌面でも確認してもらえたらと思う。
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冒頭で林さんは、言葉に関する興味深い事例を紹介されていた。
イギリスのガーディアン紙では、「気候変動」でなく「気候非常事態」「気候危機」「気候崩壊」といった言葉を使用すると宣言したという。
たしかに、「気候変動」という言葉には、気候が変わっているということを表現する言葉だ。為替変動と同じように、ポジティブもネガティブも意味しない。
だが、実際に起こっていることは「最悪」レベルで変わっているという事実だ。変動という言葉では「行動を起こせない」人もかなり多いのではないか。
コロナ禍では、感染爆発を意味する「パンデミック」という言葉が使われた。良くも悪くも、人々はかなり警戒して未知のウィルスに備えていた。
このように、言葉の持つ力は大きい。コロナ禍の例を「良くも悪くも」と紹介したのは、恐怖によって人々のマインドを動かそうとするのは、長期的に見ると弊害の方が大きいからだ。だが怖がらせたいわけではない。健全な危機感を促す上で、「気候変動」という言葉が適切なのかどうかは見直すべきではないだろうか。
いま起きているのは、間違いなく「気候崩壊」である。
そういった意識を胸に留めながら、「じゃあ、なにすれば良いの?」を真剣に考えていきたい。