映画「東京2020オリンピック SIDE:B」に関する雑記
言いたいことは山ほどあるのだけど、公開初日の8:30から鑑賞した個人的体験をいったんメモに残しておく。
かなりネガティブな雑記なので、関心のある方だけ読んでもらえたらと思う。
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・時系列がめちゃくちゃ
基本的に、「オリンピック開催まで○○日」というのが降順で進行していくのだけど、リレーのバトンを落とすシーンや、バドミントンで桃田選手がメダルを逃すシーンなどオリンピック期間中の試合が挿入されていて、そのたびに現在地を見失ってしまった。(ただし時系列が行ったり来たりすること自体は悪いことではなく、作家に明確な意図と効果の妥当性があればもちろん許容される)
・組織委の体たらくを描いた理由は?
冒頭の組織委のバタバタ劇、森喜朗さんの逆ギレ会見、小池都知事の挨拶時にほとんどの役員が居眠りしていること……。それをわざわざ映したことに何の意味があったのだろうか。
事務総長の武藤敏郎さんの「世論は移ろいやすいもの」という発言は、「オリパラが始まればみんなオリンピック肯定派になる」という議論無視の本音とほぼ同じ意味だ。それを切り取ったの意図が不明瞭だった。
・東日本大震災への配慮のなさ
たぶん映画監督としては致命的に、倫理観が欠如している。津波による被害の大きさは11年経ったいまでも鮮明に記憶されているものだが、それを大写しのスクリーンで唐突に流してはいけない。(例えばドラマ「あまちゃん」では、登場人物の表情によって被害の大きさを観る者に想像させるような演出だった)
この前後で、戦時下で甚大な被害を被った沖縄や広島の映像が流されたが、どうにも等価で語られているような気がしてならない。本来、比べるべきものでないものを、安易に並列で流すような作為は、実に不愉快だった。
・藤井風 主題歌の不在
6月15日、映画の公式サイトで唐突に告げられたメインテーマの変更。「「SIDE:B」では映画本編制作スケジュールの見直しにより、別の音楽家の方に依頼する運びとなりました」とあるが、それを鵜呑みにするお人好しがどこにいるというのか。
そもそもSIDE:A、SIDE:B共通で、「The sun and the moon」が起用されるのではと思われていた。サプライズで別曲が用意されていたとも考えられるので、その辺りの真偽については深追いしない。しかし、公開日から10日を切ったタイミングで告げられた「不在」について、ほとんど説明がないことに対して不誠実だなと感じるのは致し方ないだろう。
(ちなみに「SIDE:B」のパンフレットには、メインテーマのクレジットそのものがカットされている。エンドロールではMusic & Lyric by Tomomi Kawaseとあったと確認した気がするが、100%の確証はない)
・権威主義的なエンドロール
エンドロールは登場順で、トーマス・バッハ、森喜朗、橋本聖子……と続いていく。ちょっとだけ姿が写った、アメリカ大統領夫人のジル・バイデンやフランス大統領のエマニュエル・マクロンの名前も、初めの方のクレジットに名前が刻まれていた。
言葉では分かりづらいのだが、初めのクレジットは、どれも一行で表記されていた。ひととおりクレジットが終わると、続いて三行で表記されたクレジットに移る。その中には、東京オリンピックに出場した選手の名前もあったが、この辺りの「序列」には、何か意図があったのだろうか。映画における「ちょい役」のバイデン夫人やマクロンは、それほど重要なキャラクターではなかったはず。権威におもねった態度だと僕は感じた。
・子どもの表情、姿のカットイン
登場している人たちが、しばしば「若者」「未来世代」などの言葉を発していたが、「余計なお世話だし、どの口が言っているのか」という暗鬱な気持ちになった。学校は休校、公園は閉鎖、運動会や修学旅行などのイベントは軒並み中止の中で、オリンピックだけが開催されるというファクトに対して、明確な「回答」をしている大人はひとりもいない。
にも関わらず、随所に子どもが走っていたり、ひとりの少女が大写しにカットインしてきたりという演出がなされていた。
改めて思う。子どもを巻き込むんじゃない、と。
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ざっと、思いついたことについて、列挙してみた。
直前に「スープとイデオロギー」や「東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート」などの素晴らしいドキュメンタリーを観たこともあって、本作の出来は、はっきり言って不満である。
パンフレットで、河瀬直美さんは話している。
まさか本心ではないと思うが、映画の公式パンフレットにこのような発言を載せられる神経の太さをある意味で羨ましく思う。
国賓のレベルで招かれているバッハに対して、いきなり1対1で直接対話を持ちかけられても、それはパニックになってしまうだろう。そこにはメディアも大勢いたのだ。まともな神経の人であれば、バッハの前から逃げ出してもおかしくない。(映画では、その女性はマイクの音量を下げずに「バッハは帰れ!」と叫び続けていた)
そんな、圧倒的な不公平感も、映画の歪さを象徴している。
もちろん、これまでメディアでは流れていなかった映像も公開されている。それは貴重な「素材」ではあるが、作品性に強く寄与するものではない。
この映画に、真実があるとは言い難い。
河瀬直美というひとりの映画監督による、オリンピック観をキャプチャーした映像。それ以上でも、それ以下でもない。
100年後の人間は、この映像を観て何を想うのか。でも、ちょっと待てよ、と言いたい。
まずは、目の前の観客に対して、メッセージを伝えるのが筋だろう。それが伝わっているとは、到底言えないように僕は思うのだ。