どうして動けないのだろう、と苦しむ私を救う応援歌(星野源「地獄でなぜ悪い」)
「地獄でなぜ悪い」という楽曲が大好きで、私はNHK紅白歌合戦の曲目が発表されてから、そして年が明けてからも何度も(リピート再生しているので500回は軽く超えるだろう)、何度も聴いている。
多くの方が知っている通り(その大多数の人が忘れてしまったと思うが)、「地獄でなぜ悪い」は歌われなかった。その顛末はあえて書くまい。
私は、星野源さんの熱心なファンではない。だが事あるごとに、星野さんの音楽やラジオに励まされてきた。
この曲は、2012年、星野さんがくも膜下出血によって2度目の活動休止中に発売されたものだ。倒れる前につくられたものだが、「病室 夜が心をそろそろ蝕む」という歌い出しの通り、彼の病気や、アーティストとして「何者にもなれていない」ときの心情が反映されている。
私が好きなフレーズだ。
世の中すべてが嘘だらけだとは言わない。ただ、個別に信じている物語が無数に走る世界で、その物語を信じない人間が無条件につまはじきにされる社会は窮屈だ。それは控えめにいって地獄であろう。
星野さんが表現した「地獄」とは、私が記した地獄とは異なる意味(位相)を持つのは言うまでもない。
そもそも星野さんは、地獄そのものを肯定しているわけではない。地獄を進む者を肯定しているのだ。出口も居場所もない。どうすることもできない。窓の外の「憧れ」や「標識」に愛憎の思いを抱き、動けない場所にいる自分自身を「どうして動けないのだろう」ともどかしく感じている。
思考よりも行動が良しとされる社会で、「動かない」「動けない」ことに罪悪感を抱く人は少なくない。
重い病気に罹患している人。自然災害でわずかな救済で生きている人。インフルエンザやコロナウイルスで自宅の外から出られない人。Xでポストをするたびに四方八方から攻撃を受ける人。どうしても生きる希望を持てない人。家族が増えて幸せなのに、以前のようにフットワーク軽く仕事や生活を送れない人。借金苦で首が回らない人。
正直に言おう。
私は星野源さんがギター弾き語りで歌う「地獄でなぜ悪い」を聴きたかった。ライブではない。紅白という舞台を特別なものだと思ってはいないのだけど、"そういう"可能性があったわけで、それが失われたことを本当に残念で、悔しく、どこにもぶつけようのない怒りを伴いながら年末年始を過ごしてきた。
ただ地獄を進む者が、という歌詞は、「ただ地獄を生きる者が」と言い換えることもできる。年始のオールナイトニッポンで、「年始だからといって、おめでたいと感じられない人もいる」と話した星野さんの言葉は、たとえ前進しなくても、もがきあがき、苦しみ、泣いて、たまに笑って、ご飯を食べる“ふつう”も肯定するからだ。
あの日「地獄でなぜ悪い」を聴けなかったから、いつか、聴きに行きたいと強く思う。源さん、そのときまでどうか健やかに。会える日を楽しみにしています。