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PMF(プロダクトマーケットフィット)前後の社内記録(フリマアプリFrilの場合)

このツイートがバズったので、前回の起業時に書いていた、社内向け創業ブログが残っていたので公開(原文そのまま)します。
「PMF(プロダクトマーケットフィット)が見つかった時は誰でもわかる」の参考になれば嬉しいです。

【創業期】リリース半年-死ぬほどコミットする

季節も秋から冬になり、この頃は本当に色々なものと戦っていた。
まず、一番頭を悩ましたのはユーザーからの問い合わせのメールだった。
最初は1日数十件だったのが、3ヶ月もすると1日100件以上は届くようになった。

今のように管理画面も洗練されてはおらず、毎朝起きてメールを返信しだして、日付が変わっても返信し続け、ようやく眠って朝になるとまた同じ量のメールが届いており、返信しても返信してもメールは減るどころか増えていった。
この頃は夜中の3時でも来たメールには即レスをモットーに返信をするようにしていた。少しでも体験を損なったユーザーをケアしてファンになってもらうのに必死だったし、夜中の3時でも返信するとユーザーはビックリしてとても感謝された。

ある日、やってはいけない致命的なバグを埋めてアップデートをしてしまったことがあった。
当時はアプリ内に画像データをキャッシュしており、リフレッシュする手段もなく、アップデートをした際に必ずアプリが起動できなくなるバグだった。
アプリが起動できないのでユーザーはお知らせすら確認することができず、レビューは荒れに荒れたし、問い合わせのメールは700~800件ほど届いた。
この時、初めてAppleの緊急アップデートを利用し、すぐに新しく修正したバージョンをリリースした。

新しいバージョンが公開されるまでは生きた心地がせず、ユーザーからは詐欺アプリと罵られ、お金を扱うアプリという重大さと、届いたユーザーからの凄まじい反響をみて、改めてユーザーからの信頼を裏切るというのはこういうことかと目の当たりにすることになった。
この時ばかりは本当に終わったと思った。

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当時のオフィス(一軒家で住みながら開発していた)


他にも毎月必ず発生する、ユーザーへの振り込みも壮絶だった。
なぜなら当時はユーザーへの振り込みはメルマネというメールで送金できるサービスを利用しており、一通一通手作業だったのだ。
銀行情報を持ちたくないという理由からユーザーへの送金はメールにしていた。

なので、ユーザーへの振込日は必ず早起きし全員で楽天銀行の管理画面から一通一通ユーザーへメールで送金をしていた。
最初は数百件だったので分担してなんとかなっていたが、数千件レベルになると朝から憂鬱で午前中は全員、振り込み作業で手一杯になった。
毎日猛烈に働いており、全員がdoscのシートを見ながらの目視作業だったので、送金ミスも多く、間違ったユーザーに間違った額を振り込んでしまうことも多々あった。

その度に、ミスした送金手数料やユーザーへの組戻手数料を取られるのが結構辛く、当時は隔週、通帳を記帳してはキャッシュフローがマイナスにならないようにキャッシュを回すのに必死だった。
会社は黒字でも倒産するし、赤字でも乗り切れる場合があるからだ。
なので、Frilのサービスのお金の出入りの建て付けはかなり厳密に設計した。
今ではほとんどのフリマアプリにパクられてるのは悔しいが。。。
幸いほとんどキャッシュフローがマイナスにならずに乗り切れたが、面白いエピソードがある。

既にユーザーへの売上の振込は1千万の大台に近づいており、いつもユーザーへの振込日にはメインバンクのみずほ銀行から楽天銀行へお金を移す必要があった。
ただし、他行への50万以上の送金は都度手数料が810円も取られるため、毎月の振込手数料が惜しかった。
今となっては考えられないが、コンビニATMから楽天銀行への送金は無料だったので、毎月みずほ銀行から数百万円を引き出しては、グレゴリーのリュックに百万円の帯の札束を5~6個詰めてコンビニで手動でお金を移していた。

ある日、いつものように窓口でお金を引き出そうとすると、奥から支店長が出てきて声を掛けられた。
みずほ銀行でも百万円以上の金額を引き出すには窓口での手続きが必要で、
Fablicの銀行口座は開設してから半年も経たないのに毎月2,000万から3,000万の金額が振り込まれ、それを毎月窓口で数百万円を引き出していくヨレヨレ姿の若者を怪しく思ったとのことだった。

初めて銀行に裏口から通され、革張りのソファが置いてある重厚な応接室に通された。テレビの半沢直樹で見た応接室とまったく同じだった。
きちんと会社とサービスの説明をして以降は担当者をつけてくれて、ネットバンクの手数料を大幅に下げてもらうことになり、もう窓口からお金を引き出すことはなくなった。
当時、口座開設数ヶ月でいきなり数千万レベルの着金が繰り返されることは目黒の小さい支店では異例だったらしく、裏口から通されると銀行マンの営業成績が棒グラフで表示された成績表が貼ってあるのだが、Fablicの営業担当の棒グラフは常に他の営業をぶっちぎっていた。
その営業マンもぶっちぎりの営業成績の源泉が一軒家のガレージベンチャーで初商談が玄関になるとは思いもしなかったと思う。

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大変な日々だったが、嬉しいこともあった。
11月には新しいメンバーとして前職でもカスタマーサポートをしていた西野くんと、Androidエンジニアのタカさんがjoinしてくれることになった。
特に西野くんは入社1日目から創業メンバーと同じぐらいコミットして働いてくれた。

毎日、日が変わるギリギリまで働き、朝は一番に出社することが多く、時にはメンバーを起こしてくれたりもした。
メールや本人確認は日を追うごとに増えていたため西野くんと自分の2人体制でサポートをするようになった。
サポートツールにもコストを掛けれなかったこともあり、Gmailを自分たちで工夫したり、テンプレートを作っては整備していった。

おまけに本人確認も月を追うごとに増えていき、毎日20~30件は本人確認の書類と封筒を作るようになった。
今のように本人確認の管理画面はなかったので、全てメールベースで手動で書類を作成していた。
初期の頃は本人確認のコストが結構重く、これも潰れたスタートアップから無償でもらった旧式プリンターと100円均一で買った茶封筒に住所を印刷し、1件あたりのコストをできる限り下げるようにした。

西野くんは毎日、Fablicハウス(一軒家)に17時を告げる小学校の下校チャイムが鳴る15分前に郵便局に出掛けていった。
三田の郵便局は若干距離もあり、郵便局の人からはいつも閉店ギリギリに到着してはその場で宛名状を書き、大量の簡易書留を郵送していくので、ついには分厚い宛名台帳をそのまま渡され、次からはもっと早く、宛名は事前に書いてきてくれと怒られるようになった。
(今となってはその郵便局の送り状プリンタにFrilのロゴが載ってるんだから感慨深い。)

しかも西野くんは昼食をこの時間に買っては帰ってきて食べていた。。。
次からオフィスは郵便局も近いことを考慮にいれるようになったのはこれがきっかけだ。

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その頃、競合もポツポツ出てきており、Android版も日本初としてリリースするために急ピッチで開発をする必要があった。
Android版を作っていた時は、リリース日は押しに押して、デスマーチが続いており、本当に正月からみんな昼夜無く働いていた気がする。
リリース日が近くなると 特定の取引ページにいくとアプリが落ちるという、どうしても直らないバグが起きるようになっていた。

リリース日をこれ以上遅らせるわけにはいかなかったので、翌日にリリースすることを皆で決めた夜、兄はレッドブルとモンスターエナジーを交互に飲みながら最後のバグチェックをずっとしていた。
どうしてもバグがあるアプリを公開するのが嫌で、丸2日ぐらいAndroid片手にデバック作業を続けてた。

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リリース日の朝、とうとうバグの再現条件をつきとめ、起きてきたメンバーにまだ直せると絶叫し、修正版をリリースしたのを覚えている。

今思い出しても西野くんはあんな労働環境でよく一緒に働いてくれたと思う。
当時はサービスはもちろん急成長していたが、メンバーは日々の仕事に忙殺されて急成長してるのかどうか実感する暇さえなかった。
毎日が戦争で、今日を終えるので精一杯だったのだ。


おまけ(宣伝)

スマートバンクという会社を創業しました!
まだまだ仲間を集めて行きたいので、一緒にプロダクトを作ってくれるメンバーを探しています!
是非、興味を持った方はお気軽にお茶でもしましょう!

この創業期シリーズ、10本ぐらいあるので、ニーズがあれば公開しようかな。

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