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水色と白の血潮〜ピアソラのリベルタンゴに想う〜

アルゼンチン共和国がスペイン本国より独立した19世紀初頭、そのアイデンティティとしての標語は「En union y libertad」、つまり、統一と自由において、というものに決められた。これはつまり、国家のイデオロギーでもあり、主張でもあった。また、国民ひとりひとりにその身体の中に脈々とながれる血潮そのものでもある。

ファンペロン政権下の20世紀後半、またフォークランド紛争において、アルゼンチンは再び、「libertad」(自由)、について骨の髄まで思案せざるを得ない状況に直面する。

マルビナスの名さえ失ってしまったそのイギリスの侵攻によって、国民は真なる独立、そして自由とは一体どういうものか、その難題への挑戦こそが、ある意味での生きる意味、そして意欲となった。ちょうど、「La mano de Dios」(神の手)がイングランド相手に国民の溜飲を下げうる刺激的な一発をお見舞いしたのもこの頃だ。そして、1987年の6月24日、ロサリオでひときわ小さな小さな「神」が産まれたのも。彼は、ピアソラと同じく異国にてその自我への昇華に心血を注ぐこととなる。

ブエノスアイレスに美しいハカランダの花が咲き誇る11月の折、街中では至る所でタンゴを踊る市民の姿が見られる。イベリア半島で産まれ、ラプラタ川のほとりで花開いたその文化は、アルゼンチン国民にとってセレスティ・ブランコ(水色と白)以上の誇り、そして彼らそのものだ。

アストル・ピアソラは、しかし、イタリアにいながら祖国への愛、そしてその美しき誇りに泥を塗らんとする者たちへの憎悪をこの「LIBERTANGO」へ込めた。どこか陰鬱とした旋律の中に芸術家として、そしてひとりの市民として、力強さ、美しさ、愛おしさを兼ね備えさせた。それは、彼の中に水色と白色の血が紛れもなく流れている証左以外の何物でもない。かつてピカソがそうであったように、ヘミングウェイがそうであったように、エルネスト・ゲバラが志半ばで死んでいったように…

彼もまた、「解放者」であったのだ。

https://youtu.be/p5xgRERdZPM

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