僕は村上春樹が嫌いだ〜35歳独身男の日々〜

白のサーブ900コンバーティブルのドアを開ける。マニュアル車らしいこのエンジン音がたまらない。クラッチを踏む。スピードを上げていく。僕の左手のシフトレバーさばきには我ながら運動神経の良さを感じさせる。

…とでも書けば村上春樹っぽいだろうか。なんてことはない。僕の愛車は親から譲り受けたヴェルファイアだ。別にマイルドヤンキーではない。35歳のただの独身だ。乗せるのは空気か、4歳下の同期くらい。今日は近くのマックスバリュに買い物に行くだけ。このコロナ禍で元来予定の少ない僕の予定はよりなくなっている。
そして僕は村上春樹のこの感じがとてつもなく嫌いだ。車の運転に運動神経の良し悪しを纏わせてくるあたりが特に。

「なんで独身やのにヴェルファイアやねん」
4、5年前によく言われたセリフだ。マイルドヤンキーでもない独身がヴェルファイアに乗るというある種の「社会的なイタさ」を当時の僕はよく理解できていなかった。
「そうなんすよっ　へへっ」
と誤魔化してきたが最近ではそれすら言われない。
そういえばこないだ係長に
「車検てどんな感じ？」
と聞かれた。係長は最近ステップワゴンを買ったらしく(当然家族持ちだ)、3ナンバー車の車検にかかる費用を気にしているようだった。
僕は
「んー、そうすね、なかなかっすよ」
と、さも懐が痛いです的な顔をして答えた。でも、実際のところよく分かっていないのだ。だって費用は親持ちだし。ナンバーだって実家のある滋賀のままだ。

なんてことを考えながら車を走らせる。県道の向こうに広がる稲田がすごくきれいだ。ところどころに山田錦ののぼり旗が立っている。こちらの人間の気質にはうんざりするが、播州の晩秋は、案外好きだったりする。


なんとなくマックスバリュに到着した。もう日は傾きかけている。今日は休みだが、ダラダラしていてこんな時間になってしまった。鰤しゃぶ用のブリが半額になっていた。思わず手を伸ばす。ポン酢も買わなくては。旭ポン酢にしたいが、止めた。どうしてだろう、パチンコ台に万札を突っ込むときは何とも思わないのに数百円の違いにはいささか敏感になっている。そして、金は全く貯まらない。華の独身貴族のはずなのに…

半額のブリとポン酢、特大ペヤングとマヨネーズ、コカコーラ(ゼロではない)を袋に詰め車に乗り込む。もうすっかり陽は落ちていた。なんとなく所在なさを埋めるためにTSUTAYAに向かう。TVで夕方の芸能ニュースをやっていた。なんで愛すべき妻子がいて不倫するんだろう。芸能リポーターの舌端が火を吹いている。どうやら奥さんの好感度は鰻登りらしい。
持てる者、持たざる者。
持てる者はさらに富んでいき、持たざる者はずっと持たない。
持たない者の唯一の楽しみは、持つ者の醜聞。それはいつの時代も変わらんなあ。
そうだ、TSUTAYAで「寝ても覚めても」借りよ。

結局借りたのはAVだった。お気に入りの女優のやつ。美しい人たちが演じる美しい物語を観たところで何になるのだ。心の隙間すら埋まらない。結局、僕の隙間を埋めてくれるのはこの娘だ。
そうそう、今流行りのKing Gnuのアルバムも借りた。最新のやつだ。僕は35歳だけど、子育てや家のローンに追われる枯れた35歳とは訳が違うんだ。感性は若い。20代前半の女の子とも十分話ができる自信がある。半年前に4歳下の同期と行った三ノ宮のガールズバーでは、「ゆりちゃん」にいたく気に入られた。
「お兄さん、若いですね」
僕の心のやらかい部分を今でもまだ包み込んでくれる一言だ。
コロナが落ち着いたら絶対また行くぞ！ガールズバー！

家に帰りKing Gnuのアルバムを流していると
「3回目のアラームでようやく起き上がれそうな朝」
というフレーズが気になった。
これ、宇多田ヒカルのパクリやん！
「Automatic」の「7回目のベルで受話器を取った君」
やん！
全く、近頃の平成生まれときたらそんなことも知らずに音楽をやっているのか…
マックスバリュで買ったパック入りの安い焼酎を水道水で割って飲んでいると、なんとなく、だんだん腹が立ってきた。
そもそも昭和生まれって何だよ。平成に生まれたことがそんなに偉いか。何が「平成ジャンプ」だよ。結婚することがそんなにすごいか。
係長は1歳上だが、結婚し、子どもが2人おり、明石にマイホームを買ったらしい。
「子どもおると金かかってしゃーないわ。でも、明石は保育料無料やからそれを家のローンに充ててる感じやな」
が口癖だ。
「そうなんすねえ」
と毎回応えるものの、正直どうでもいい。というよりあのドヤ顔を見る度に苛々するし、なぜだか家に帰ってから怒りが沸々と沸いてくる。
「所詮ステップワゴンが。こっちはヴェルファイアやぞ」
独身という金に余裕のある立場だからこそ、高級ミニバンのガソリン代を出し続けられるんだ。
僕はぬるくなった焼酎を一気に流し込んだ。

TVの深夜バラエティではジャニーズのアイドルが愛想を振り撒いていた。