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【三田三郎連載】#010:野球のピッチングと飲酒の類似性について

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第十回です。
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野球のピッチングと飲酒の類似性について

 テレビのプロ野球中継を観る度にいつも思うのは、ピッチングと飲酒には共通点が多いということである。

 最初から最後まで淡々と投げ抜くピッチャーもいれば、立ち上がりが弱いピッチャーもいるし、終盤に崩れがちなピッチャーもいる。これは酒飲みでも人によって酔い方が大きく異なることに似ている。ずっと顔色ひとつ変えないで寡黙に飲み続ける者もいれば、酔い始めるのは早いもののそこから驚異の粘りを見せる者もいるし、そろそろお開きというタイミングになって急に乱れだす者もいる、といった具合にである。

 また、その日の調子に合わせて臨機応変にスタイルを変えるべきなのも、ピッチングと飲酒の共通点だ。ストレートの調子が悪い日にピッチャーが変化球中心の投球をするように、酔いの回りが早い日に酒飲みは弱い酒や水を多めに飲むのである。

 さらに言えば、加齢によってスタイルの変更を余儀なくされるというのも、ピッチングと飲酒に共通するところだ。若い頃はストレートの力だけで勝てていたピッチャーが、加齢とともに球威が落ちて、変化球と制球力を武器とする技巧派へと転向するケースはよく見られる。それと同じように、若い頃は体力に任せて好き放題に飲んでいた者も、次第に衰えを自覚し始め、ペースを意識して時折チェイサーを挟みつつ飲むようになるのである。

 このように、ピッチングと飲酒には実に多くの共通点があり、酒飲みがピッチャーから学ぶべきことは多い(その反対に、ピッチャーが酒飲みから学ぶべきことは何ひとつないが)。

 では、ピッチングと飲酒の類似性を踏まえたうえで、私をピッチャーに喩えるとどのような選手になるのだろうか。まず、日によって調子が全く違う不安定なピッチャーである。こういうピッチャーは先発ローテーションの一員としては計算しにくいし、ここぞという大一番では到底使えない。また、立ち上がりが悪いこともあれば、終盤に突如崩れることもあるわけで、一試合の中でもコンディションにバラつきがあり、安心して見ていられない。常に代わりのピッチャーをブルペンに待機させておかなければならないのでベンチは大変だ。つまり、ろくでもないピッチャーである。

 そして、私は自らの調子の不安定さを自覚しつつ、技術を駆使してなんとか六回三失点くらいでまとめようと思って投げている。しかし実際は、どれだけ失点しようとも、監督に降板を命じられようとも、周囲の制止を振り切って九回まで投げ続け、結果としていつも三十点くらい取られている。全くもってろくでもないピッチャーである。

 ただ、もし本当にそんなピッチャーが実在したら、すぐに野球界から追放されていることだろう。だが、私は今のところ飲酒界から追放されていない。そう考えると、飲酒界は野球界よりも随分と寛容である。ピッチングと飲酒はよく似ているが、野球界と飲酒界には大きな違いがある、ということなのだろうか。このあたりについてはまだ探究の余地があるように思われるが、そんなことよりもまず、私は飲み過ぎて一般社会から追放されないように気を付けたい。

ウォッカとの死闘の果てに決着は12回裏のサヨナラ嘔吐   三田三郎

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124


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