百貨店と"まち"の変遷。そして、これから。
【はじめに】
地方都市から消える百貨店
理由は、それぞれの地域や店舗で特有の事情があると思います。
島根県の一畑百貨店を例に、百貨店が “まちづくり” と共に歩んできた道を振り返りながら、これからの地方都市における"まちづくり"のあり方を考えてみました。
【一畑百貨店のあゆみ】
一畑百貨店の創業
1958年(昭和33)10月
松江市で初めての本格デパートとして、売り場面積 3,102㎡でオープンする。
1959年(昭和34)6月
屋上ビアガーデンを開設
1959年(昭和34)10月
創業1周年にちなみ、松江に所縁のある「暮らしの手帖編集長 花森安治氏」デザインの市松模様の包装紙に改定される。
1971年(昭和46)4月
包装紙のデザインを島根県の花 牡丹をモチーフにデザイン化する。
1976年(昭和51) 2月
一畑グループ共通のコーポレートマークを制定する。
1980年(昭和55)
この年の決算で年商100億円を突破
1982年(昭和57)
松江店増床・別館オープン「ツインタウン」
1983年(昭和58) 10月
一畑百貨店開店25周年記念「歩行者天国」開催
1984年(昭和59) 8月
一畑電鉄百貨店部門から「㈱一畑百貨店」として分離・独立をする。
労働組合も一畑電鉄労働組合から独立し「一畑百貨店労働組合」となり、上部団体は商業労連(現・UAゼンセン)となる。
1984年(昭和59) 10月
売り上げ目標を130億円とし、作戦名を「Z作戦」とした。
1988年(昭和63) 2月
新生一畑百貨店の第4期決算で、年商130億円を突破する。
この年に、創業30周年を迎える。
10月には、特別企画として島根県民会館で「森英恵ファッションショー」を開催した。
1998年(平成10)
新会社 ㈱松江ターミナルデパートを設立し、JR松江駅前の量販店跡地に移転した。
車社会になり、消費者の行動範囲が拡大。中心商店街の衰退傾向が顕著になる中で、起死再生を計った。
松江市も、松江駅周辺を"まちづくり"の中核として捉えてきた。
しかし、一畑百貨店の売り上げは、2009年(平成21)頃から100億円を割り込み、損失が拡大し、2024年(令和6)1月14日で営業を終了した。
【まつえ・まちづくり読本】
2008年(平成20)
松江市は、これからの「松江の"まちづくり"」について、どうあるべきか?ビジョンづくりの足掛かりとして『まつえ・まちづくり読本』を作成しました。
【基本的な構成】
① 経済安定期の基本的な姿勢
② 松江らしさの回復
③ 中心市街地の活性化
④ 住民参加
【4つの軸】
① 旧城下町地区の石橋町〜雑賀町に至る南北の軸
② 宍道湖〜大橋川〜中州に伸びる東西の軸
③ 宍道湖岸沿いの公園を主体とする地区
④ JR松江駅を中心軸に、島根大学〜県立大学を結ぶ地区
【松江駅前のグランドデザイン】
松江市は、今回の一畑百貨店の閉店を承け「松江駅前」のグランドデザインの体系を整理しました。
【資料①】
【資料②】
【これからの課題と視点】
① 居住人口や店舗数の減少、また遊休不動産の増加と云う課題を含め、若者が主役となる"まちづくり"を進める。
② 大橋川の河川改修に併せて「水辺の空間」の利活用を進める。
③ 歴史と文化資源を活かした"まちづくり"
宍道湖や松江城、昔ながらの城下町としての"まち並み"や、茶の湯さらに小泉八雲や、文豪達が遺した文化遺産を後世に伝える。
【"まちづくり"の関わり方】
「現代の "まち" は市民が主役と言われながら、各自にとってその実感は薄い。」
しかし、先ずは "まちづくり"に関わろうとする気持ちが大切。
たとえ すぐに大きなことに取り組めなくても。
先ずは、関わりの一歩から。
【参考】
松江についての寄稿が載っています。
地元の商店の人達や、いろいろ聞いてみるのに「松江しんじ湖大橋」(1972年7月22日 )が出来た事を切っ掛けに、松江の南北の人の流れが、変わったようです。
(交通の流れも含め)
【松江しんじ湖大橋】
松江の南北の大動脈としての「松江しんじ湖大橋」
1972年7月22日 開通
初めは、有料で普通乗用車は1回50円
1981年7月1日 無料化
1997年10月 道路拡幅・補強工事着工
2002年7月30日 道路幅の拡幅(4車線化)完了
【シェア】
地方百貨店の衰退について
2024.10.19.
資料出典:一畑百貨店30周年記念誌