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文学フリマ東京第39回を終えて
文学フリーマーケット東京、略して文フリ。第39回が12月1日に無事に終了しました。売り手の皆さんも買い手の皆さんもお疲れ様でした。
今回の会場はビックサイト。コミケと同じ会場です。
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コミケ自体に参加したことはないのですが、別イベントがあった時に行った記憶があります。
多分十年以上前のことですが「すげー!」って感動したのを覚えています。あの時は買うばかりでしたが、今や売り子に。成長とは、もしかしたらこのことかなと。
ものを書いたり、何かをつくったりする業(カルマ)から逃げ出せない面白三人組で小説サークルを立ち上げておりまして。ルーセットレって言うんですけど。
初出店は2016年。8年くらい出店しているらしいです。
多少お休み期間を挟みつつも、年に2回、小説をコンスタントに寄稿しております。大体12本くらいの小説が、印刷されたもののみに収録されています。ネットに公開する予定はあんまり考えていません。
明日よろしくお願いします!
— ルーセットレ@文フリ東京いー43 (@rousettre) November 30, 2024
#文学フリマ東京39
#文学フリマ東京
#bunfree pic.twitter.com/G4G5n4tDcq
書きグルイたちが集まっているので(というかプライベートが忙しいメンバーしかいない)、宣伝を全くしておらず。
の割に、新刊はほぼ完売。持ち込んだフリーペーパーも全部配布。ありがたいですね。会場が広くなった分、目に止まる機会も増えたからだと思われます。
今回は表紙があまりにもカッコ良くて、杏修羅さんの小説賞の最終選考まで残った作品も収録されている豪華版だったのが要因でしょう。
「表紙が良くて…!」「なんか惹かれちゃいました!」等声をいただくことも。
ここで繋がる友達の輪。たまらなく良いですね。こういう作家的コミュニケーションが好きで毎回顔を出しているという節はあります。
あとがきにもちょいと書いたけれど、私の小説は結構な難産であった。
いつもはコンスタントに一ヶ月くらいで完成させるものを、半年くらいかけて誕生させたのであった。
まず、スランプであった。
2024年、出だしこそ良かったものの、ほぼ小説は書けておらず。
「小説、書くんですよね~へへへ~」と言いつつも、書けた作品は数える程度。
というか、一つだけ。今回文フリに持っていった合同誌収録作品のみ。
11月末に締め切りがあったこれだけである。
本当に書き手か??
しかも一回8月の締切を大破りしているし。
いつもは1~2万文字くらいのものを寄稿するのに、8月時点で書けていたのは2000文字程度。
普段の10分の1。
ありえない。これがどれくらいあり得ないかと言うと、力士がアサイーボウルを食べて「ごっつあんです」って言ってるくらいありえない。なんだこの例えは。まだスランプか??
ともあれ、サークルに所属してから初めての締切大破。みんなもびっくり。私もびっくりである。
アイデアが湧かないというか、文章そのものが書けなくなっていた。物語の構造も思いつかないし、話の展開も思いつかない。
なんにも書けない。何もつくれなかった。
こう、作家っつーものはアイデア勝負みたいなところがあるらしく、ネタが降ってこない限り、なぁーーんにも書けないものなのであった。
生まれて初めてのスランプの経験。小説を書くことだったら誰よりも得意だったのに、なんの文言も出てこないし、なんのストーリーも湧かない、そんな数ヶ月を過ごしていた。
地獄のようである。
物語が私の中から抜けてしまったみたいに、言葉が空っぽになっていた。創作意欲もない。
なんだこの感覚は。
要因は色々あるけれど、あまりにも忙しすぎたのは要因だったのかもしれない。
目まぐるしい環境の変化や、難航するコミュニケーション。
基本的に楽しいことがいっぱいあったけれど、遅効性の毒攻撃をくらっていたこともあって(ふんわり表現)、想像する力も創造する力もかなり弱っていたような気がしている。
忙しいと心が死ぬとはまさにこのことなんでしょう。
映画や本を読む時間がめっきり減っていた。
海とかみて「綺麗だなぁ」と思うことはあっても、それ以上の感性がやってこなかった。
「もう小説とか、書けないのかなぁ」とか思いながら、「まぁ、今ある幸せを見つけていければいいかなぁ」と心が死にゆくことをじんわりと見守っていたりもして。
作家じゃなくても、私は私だよなと納得しかけている最中でもありました。創作だけが人生ではないもんね、そう考えながら。
と、ゆるやかな自殺をしかけていたところで転機が。
そんなビッグなインパクトではないんですけれど、普通に忙しくなくなったというのが一番大きいだろう。それから、素敵な感性に刺激を受けまくったというのも。
自分が「好き!」と思えるものに対して、素直に感性が揺さぶられた。簡単に創作とか、小説とかは捨てられるものではなかったのかもしれない。
一旦お休み期間に突入したことによって、今までできなかった自分の整理ができるようになったのも大きいかもしれない。
今まで自分が何を考えてきたのか、何を体験してきたのかを棚卸することによって、頭の中に詰まっていたものを取り除ける時間ができた。
ちょっと脇道ぷちコラム
めっちゃ前に数秘というものに出会ったことを思い出した。
私は「11」らしいのだけれど、この数字の人の頭には「11」っぽい筒みたいな、アンテナみたいなものが生えているらしい。
で、そこでいろんなものをキャッチして考えたりするらしいのだが、定期的にいろんな情報や感情が「詰まる」らしい。
なので、その詰まりを取り除くことによって今まで通りにまた活動が再開できるのらしいけれど、まじでこれでは??って思った。
詳しくはこの本にて。
こういう、いろんな観点から自分の特徴を調べるのも面白いかもしれませんね。間に受けすぎない程度に取り入れると視野が広がるかもしれません。
ただ、あまりにものめり込みすぎるとこうなるので、ご注意を。
こうやって経験を振り返っているとありとあらゆる人生の罠にハマり続けているような気がする。私はかなり人運が良いのでいつもギリギリで救われている。本当に、同じことを繰り返さないように自分の頭で考えなければと、都度思っている。
で、詰まりをごっそり取る時間を得たわけですが、これがとってもよかった。
出るわ出るわアイデアが。指が止まらないくらいに書ける書ける。
小説も書けるし、エッセイも書ける。今まで何も思いつかずに苦戦していたはずの文章づくりが余裕でできるようになっていた。なんだこれは。
そんな感じで勢いを取り戻し、8月に書いたカスみたいな小説に手直しを加えてめでたく出版まで漕ぎ着けたと言うわけである。
「最初は本当、大丈夫かなって思ったんですけど、綺麗にオチもつけて面白い感じに仕上がってましたね」
と言ってくれたサークルメンバー・杏修羅さんの講評をここに置くことによって、第三者から見ても私の小説がまあまあ面白いものであるというアピールをしておく。
小説、やっぱり書くのが好きらしい。
ずっと書いてきたし、それなりに完結させてきたし、それなりに面白いもの。どうかな、思い上がりなのかもしれないけれど。
それでも私は私の作品に満足しているし、書けば書くほど成長している気もしている。
誤字が減っていたり、読み手を意識できていたり、そういう初歩的な改善かもしれないけれど、年々よいものができていると信じている。
よくても悪くても、書くしかないんですけどね。
ネットで読める作品がかなり少なめなので、更新もしていければと思うけれど。
そんなこんなでスランプから脱却しました。
11月頭くらいからほとんど完全回復していると思う。
投稿作品だったりストック作品の文字数はカウントして記録しているのだけれど、この1~2ヶ月くらいで書いた文字数は6万字を突破したらしい。結構いいペースで書けている。これぞ本来の私だよね、多分。
そんななか、完成させた作品なので結構思い入れがあるものに仕上がった。なかなかに面白いのかもしれません。
次回文フリも期待大ですね。
まぁ、そんなこんなで私の創作話は以上としましょう。
文フリ全体の感想
会場がえげつないくらい広くて、えげつないくらい参加ブースとえげつないくらいの入場者数でした。すごかったです。
文学フリーマーケットというものはもはや一般的なビックイベントになったと言っても過言ではない。
文フリ東京、会場が二つになったり、場所が移転したりと日々進化を遂げていますが、今回はなんとコミケでお馴染みのビックサイトで行い、過去最多のブース数と過去最多の入場者数を叩き出しました。
次回文フリも同会場で、また申込みのブースの数は増えるそうで。
一旦マップ見ますか。
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私たちは「大衆・エンタメ」コーナーの常連なので、右上あたりにいました。
それにしても見てください、このみっちり具合。こんだけ創作者がいると思うと、震えますね。特に左下。
あのあたりは詩や短歌、評論コーナーだったわけでしたが、みっちみちであったし、かつめちゃくちゃに大人気だったらしく、体感温度が三度くらい上がっていた。
ちょっと遊びにいってみたが、カタログがなければどのブースがどれかもわからないし、何より人がヌーの群れの如しだったので、あやうく轢き殺されるところでもありました。一つ一つのブースを回る時間があまりにも短すぎた。
開場から終わりまでずっとあのあたりのゾーンは人で押し合いへし合いがされていたような気がする。
その一方、私たちのいるあたりは時間の経過とともにゆっくりと人の流れも少なくなっていった。
ここで一つの疑問が。
もしかして、小説読まれなくなってます?
情報化社会、タイパとコスパが思考とされている中で、もしや夢と魔法、さらには物語なるものは「無駄」とされていたりするのだろうか。なんて時代だ。
おそらくそんなワケないのだけれど、感覚として物語を欲さない世代が増えたのかなぁ、なんて考えたりもする。
小説って読まれているんだろうか。私はちなみにこの半年で読んだ小説は二冊くらい。書き手が読んでいないとはなんたる。
こういう私の現状をも踏まえると、物語を必要としていない、と言い換えることもできる。
表現がわかりやすい方が面白いと思われがち、というのも。物語もコスパを考慮されて消費されていっているような気もする。
全部体感なんですけどね。
純文学より大衆文学。
紙の本より投稿サイト。
そっちのほうが早いし安いしわかりやすい。そういう潮流があるのも確かだろう。私もその流れに乗っかってるっちゃ乗っかっている。
文学の崩壊だの、出版業界が虫の息だのというのはかれこれ五年くらい前から言われ続けている話でもあるので、そんな滅びゆく時代を嘆いても仕方がなく。
それでも粛々と自分の描きたい世界を書き続けるしかないって思うんですけどね。
物語を欲する者がいなくとも、私は書きたいから書くし、読ませたいから表現します。そういう固い意志があります。
文フリはそんな滅びゆく業界に残ったディストピアイベントなのかもしれない。
がしかし、SNSの各所において、色々と文フリの傾向がどうやら大衆すぎることが話題になっているらしい。
なんだってぇ?
色々見てみた感じ、文フリはこんな感じに言われているらしい。
・宣伝したもん勝ち(影響力の強い人がいっぱい拡散していっぱい売っている)
・出版社安易に参入しがち(プロがいっぱい参加されてそれ目当ての人が多すぎる)
・アマチュアは歪んだ承認欲求のために参加している(文フリ参加者って痛々しくない?っていう話)
もちろんネガティブなものだけじゃない
・今までSNSで気になっていた人に初めて会えた(目当ての作品が購入できる、作者に会える)
・初出店楽しかった!(新規参入の方の嬉しつぶやき)
・素敵な本に出会った!(書店では買えない本との出逢い)
賛否両論あるのは世の常。
改善点もあれば、良かったところ、思い出に残るところ、たくさんあるのが文化祭みたいでいいですね。
日々進化を遂げる文フリがつよつよになっていくのは目を見張るものがあるけれど、強大になればなるほど、弱点が見えてくるのは仕方がないものだとも思います。
有名人の参加が今に始まったわけではないけれど、明らかに参加する企業が増えたのは体感としてありますね。
アマチュアと比べてファンや予算など持っているものがレベチである。そりゃあ、目当ての人はそこに集中しますわ。
その人たちに「こっちにも面白いのあるよー」と言っても、相当人が良くない限り見向きもされない。
出店続けていて、いきなり参入してきた大きなものが羨ましくなるのは世の常よ。そりゃ悔しいですよ。
それで結局宣伝力かよと腐っていくと。
人間に一番ストレスを与えるのは人間理論でいくと、そういうムーブに自尊心を傷つけられ、「文フリに出店するやつは承認欲求を拗らせていて~レベルが低くて~」とか範囲攻撃をするのだ。
妙に的を得ているし、単に傷つくだけなので「ぐぬぬ…」としか言えない。
そもそも
文章を書くやつは変なやつなのである。さらに自著を製本して売ろうとするなんて正気の沙汰ではないのである。前提として。
小説を書いているだなんて、自身の肛門を公衆の面前で大公開しているようなもんなんだから。それくらいエグいことをしているということを時折忘れてはいないだろうか。
小説やエッセイ書かなくても正気を保っていられる人の方がこの世には多いのだ。物語を創造しなくても、人は生きていける。実は。
これをしないと生きていけないような狂気に取り憑かれながら、創作せざるを得ない溢れる気持ちを文章にぶつけている人口なんてすごくすごく少ないと思う。
生成AIだの投稿サイトの増加だので書き始める人が増えてはいるけれど、継続して書くということはとっても難しいことだろう。
書き続け、本にする。しかもずっと。
一般的な文庫本は6万文字以上の文字数を必要とする。それと同等のものを1人、もしくは少人数で用意するなんて、すごくないか?
すごいだろう。変だしすごいのだ。
それを忘れると「文フリに出店?頭おかしいだろ」にダメージを喰らってしまう。
もともと、頭おかしい連中のイカれパーティーなんだから。
最近知名度が上がってきたり、有名人が参加していたりで忘れがちなのだが、元来そういうものなのである。
製本という作業は一般的なものではないし、一般的なものにしてはならない。誰でもできるものでもない。
一部の頭おかしい、文字狂いやイラスト狂い、写真狂いが、自分の欲と他者への貢献の欲とせめぎあいながら、苦しみながら行われるものだと、思っている。
コミケとか思い出して欲しい。
あのサブカル超大乱闘を。
文フリはあれになりつつあるのではないのだろうか。
いろんな人が遊びにきて、いろんな人がそれぞれの遊び方をする場になっていくのではなかろうか。
次回文フリもどんどん規模が広がっていくし、それに文フリは東京だけではない。
札幌岩手香川京都などなど各地方でも行われている。
もっとアングラな、読者と作者が密接に繋がれるようなところに行きたいのならば、文フリ東京ではなく地方の文フリに行ってみるのも一つの手なのかもしれない。
どんなイベントになっていくかは運営の方針次第でありながら参加側がどん
なものを用意していくか、またどんな心持ちで向かうか次第でもあるのだ。
楽しいイベントにしたいのは満場一致の想いだろう。
私もその1人として、これからも小説を書いては刷り、書いては刷ろうと思っています。
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