劇団水中ランナーという名前
名は体を表す
・物や人の名前は、その中身や性質を表すことが多いということ。
昔から気になっていることわざの一つであります。
言葉や名詞に興味を持つようになって尚更。
言葉についてはまた機会を改めるとしまして(言葉があることで人は救われると同時に、言葉があるから必要以上に捉われてしまっているんじゃないかとか、言葉にとっては大きなお世話なことを考えたりしてます)、今回は名前について。
以前から名前については興味は尽きず、劇団の公演の時に楽曲提供して下さっていた白濱賢吾さん率いるストレンジドラマさん(旗揚げ公演「笑う花」の時はストレンジドラマさんとして楽曲提供して頂きました)の「世界で一番好きな言葉」に当時多大なる影響を受けまして、第二回公演の「紡ぐ舞い」に取り入れさせてもらったりもしてます。
名は体を表す。
自分の名前は「良太」であります。
堀之内家はがっちりとした体形ではあるので、幼いころはほんとに「良く太るように」として名付けられたんじゃないかと思ってました。
よく太るようにって・・・母親の血筋を引いたのかがっちりとした体形では無かったので、名前負けだなぁと思ってた節もありました。はい。
それもあってなのか、高校まで自分を下の名前で呼ぶ友人はほぼいませんでした(高校からは開き直ったのか下の名前で呼ばれる方が多い)。自分が嫌がったのか、もしかしたら自分の周りに下の名前で呼ぶ習慣が無かっただけかもしれませんし、下の名前で呼ぶのは気恥ずかしい格好つけてるみたいと意味不明な理由で避けていたのかもなぁと思ったりもします。目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋だったので。
今となっては「太く」の意味はそれなりに色々あるのだろうと推測出来るので、太くあるのかなぁと思ったり、ビビったりすると名前負けだなぁと苦笑いして逃げたりします。
ちなみに名は体を表すの反対語は「名前負け」らしい。
ということは「名は体を表す」のその名はいいことであることが前提らしい。まぁ、一理あるのか。
母上。父上。親族の方々。良く太くあれるよう生きていきたいとは思っています。
自分の結論から言いますと(何の結論かはさておいて)、名は体を表しますなぁ・・・と思いますし、名は体を表さないでしょうよ。と思います。
何だそれ。自分も書いていて何だそれなんですが、そうなんですもん。
親戚や友人の子どもが生まれ、名前を聞くと多くの場合「あぁ、いい名前だな」と思う。きっと字画だったり、多くの想いを込めて命名しているのだと思います。自分にはまだ経験が無いと思ってたら、「あぁ、あったわ」となりました。
それが劇団水中ランナー。
そうです。今回はこの劇団水中ランナー結成と命名の話を書きたいと思っていたのに、名は体を表すってワードに思いを馳せてしまいました。
劇団水中ランナー。
2013年に私堀之内良太・モジャ男江島雄基・ストイック山上遊で結成。
ちなみに江島の名前は雄基がいつも変換で出てこず、雄の基地と書いて変換している。雄の基地。オスが集まる秘密基地を連想してしまう・・・名は体を表さんなぁ。(きっと想いがあってのことなのにごめんなさい)
遊は自分の名前を説明する時に「山の上で遊ぶ」です。と説明してました。これに関してはあんまり遊が山の上で遊んでいるのは目撃したことが無い。
遊が山の上で遊ぶ。何かゲシュタルト崩壊を起こしそうです。
その後2014年に旗揚げ公演「笑う花」を中野ウエストエンドスタジオにて上演。現在第十回公演まで回数を重ね、途中新たに劇団員に栗栖裕之・花田裕二郎・川村美喜が加わり、遊が脱退。第十一回公演を5月に行う予定でしたが中止となり、水面下で動いているような様相を漂わせているが、漂わせているだけで、悶々とマイペースに日々を暮らしている。
ランナーしてないかもしれない。いや、しているつもりではあるのだが。
現状、体は表せていない。
ちなみに上演予定だった「花を灯す」
第十一回公演とのことで新たなスタートの意味も込めての作品でした。
その事については想いが溢れすぎそうなので機会があれば。
上記の通り2013年に三人で結成。
前の事務所が同じで、辞めてフリーとして将来の不安を感じながらも熱い思いで集まった三人。
最初は劇団としての概念ではなく、一回自分たちが主催で公演をやってみようと手探りでスタートしました。しかし、如何せん熱い思いだけは持ってるので願望を話し合えば話は大きくなる一方。こんな劇団になろう、何年後かにはあそこの劇場でやろう、あの有名人と共演しよう、あそこの劇団には負けない、あの劇団はつまらない等、後半ただの悪口を言う回みたいになった飲み会も数多くありました。いや、ほとんどなのか。
そして劇場さんに電話をして、劇場の下見といよいよ劇場の契約。
契約を結んでしまうと後戻りは出来ません。
ちなみに旗揚げ公演の劇場は「中野ウエストエンドスタジオ」。劇団公演でも4回利用させて頂き、別ユニット「サヌガヤ」の旗揚げ公演もこちらで。
近くに新井薬師があり、普段はお参りしないのに、公演の前だけは熱心に通わせてもらって自分勝手だなと思いつつ、辞められなかった記憶があります。
思い出が詰まりすぎて、愛おしい場所です。
先日たまたま前を通ったら、近くにドミノピザが出来ていて、何でだよ!と勝手に違和感を感じてしまうぐらいです(この感情は自分でもよく分かりません)。
よし、やるぞ。と高揚しつつ、ウエストエンドスタジオに向かう三人。
劇場に入った時の「ここでやるのかぁ」は忘れたくない感情です。
テンションも上がり、よしここでやろうと決意を新たにいざ契約へ。
契約書に向かい、さぁ書くぞと意気揚々書こうとした一番最初の項目が
「団体名」
団体名?
そうです。嘘みたいですが、そのうち決めればいいやみたいな感じでまだ団体名を決めておらず、担当の人に「あの・・・ここ自分の名前でいいですか?」と聞く始末。
すると劇場さんが「劇団ホリノウチリョウタ」ですか?と
何故カタカナなのかは、自分の頭の中で何故かカタカナに変換されたので悪しからず。
劇団ホリノウチリョウタは避けたい。自分の性格的に何が何でも避けたい。
残りの二人も絶対嫌だっただろう。
劇場さんにまだ決まってないので、決まり次第連絡しますと言って仮契約だけ済まして、劇場を後にした(実際、個人名で契約できたのだが何故かちゃんとしたい精神が勝って、三人で決めてきますと後にした。そんな熱量がありました)。
改まって劇団名をいよいよ決める時が来ましたね。と告げると
二人は神妙な面持ちで決めましょうと答えた。
中野の日高屋でW餃子定食が到着するのを待ちながら。
話し合いを始めようとするとWの餃子定食が3つ到着し、まずは食べることに専念。
食べ終わり、いよいよ本題。
三人で案を紙に書いて出し合い、いいと思ったやつを満場一致なら採用みたいなやり方だったと思う。
自分が年長で主宰だから二人が気ままに提案できないんじゃないかとの懸念からだったと思うが、いらぬ心配だった。
集まった紙を開いてみると字に特徴があるので誰の案かすぐ分かってしまった。
そして三人とも自分が書いたであろう案を譲らなかった。
そりゃあ、我が子に命名するようなものに似ているかもしれないと当時は熱い思いがあったからである。
覚えているだけで、びっくりする名前が結構あった。
「陸上スイマー」
「夜行列車」
「後ろ向きに後退」
「三匹のマッチョ」
他にも当時嘘でしょってやつが沢山あったにですが割愛します。
でも、今思うと売れたもん勝ちというかどの名前でも売れたらカッコいいってなったのかもしれない。
三匹のマッチョは江島案なのだが、これは厳しいか。
ちなみに三匹のマッチョの次の江島案はマッチョ売りの少女。意味が分からん。
何となく、案が絞られつつも
「後ろ向きに後退」なら「バックストリートボーイズ」でもいいんじゃないですか?とまたも江島。
あやうく歌って踊れないかぶれ劇団が誕生する所だった。
最終的に
自分が「陸上スイマー」
遊が響きも含めて「夜行列車」
江島が後ろ向きに後退ってことは結果前進してるんですよ、と分かり切った熱弁をかまし「後ろ向きに後退」
で譲らなかった。
ほんとに三人とも譲らなかった。
我が子の命名みたいなものに宿命を感じていた。
その結果・・・劇団を解散しかけた。
あんなに熱い思いで結成したのに、劇団名で解散しかけた。
ほんとに解散一歩手前。
「じゃあ、解散だ」「・・・」みたいなやり取りまで発展した。
そりゃあ、劇団名大事だけれども、元も子もない。
今、その様子をモニタリング出来るとしたら笑い転げるかもしれない。
結局このままではいかん、一回頭冷やそうと、当時一番冷静だった遊の提案でその会はお開きになり、何故か当日の五時間後に再集合になった。
五時間を思い思いに過ごし、その日の夜にまた三人で集まった。
何故かその再集合の場所も中野の日高屋だった。
その日二回目の日高屋での食事を頂きながら、二人はちょっと反省した様子ですいませんでしたと言ってきた。
いや、俺こそと平然と装ったが、熱くなった恥ずかしさと未だに「夜行列車」と「後ろ向きに後退」をどうやったら諦めさせられるかで頭が一杯だったで気がする。
結局二人が折れ(多分遊は納得してなかった)、元々の案の一つであった「水中ランナー」に落ち着いた。
二回目の会議は比較的穏やかで、三人であーでもないこーでもないと言い合いつつ、劇団名に前向きに色んな感情を託したように思う。
名前に色んな想いを託して結局その日はまだ他の劇団の悪口も言いつつ、酔っぱらった気がする。
こんな紆余曲折が沢山ありつつ、今も劇団水中ランナーを続けている。
名は体を表す
「夜行列車」や「後ろ向きに後退」等、選ばれなかった名詞達に恥じぬよう、体現しようとする努力だけはしたいなと思う。もちろん無理が無い程度に。