以前、バスに乗っていた時のこと。 終点の駅に着き、のそのそと立ち上がり降りる順番を待っていた時、前の方に乗っていた小学校2、3年生の男の子がバスの降りぎわで運転手の方に素晴らしい滑舌の大きな声で「ありがとうございました!」と言って、颯爽と降りて駆け出して行った。 普段からお礼を伝える人も多いかと思うが、小学生低学年の子の大声は破壊力がある。 バスの中は温かい空気に包まれた。男の子の前に降りた人はバツが悪そうに振り向き、次に降りたお姉さんも小さい声で「ありがとうございました(恐
冬である。大寒波もきている。 電気代も高騰している中、正直勘弁して欲しい。 もともとアフリカ大陸で生まれた人間には寒さは危機であり、多大なストレスらしい。そのせいか最近抜け毛が多い。恐らく年齢。 宮崎出身としては2月後半には若干温かくなるイメージがあるので、東京にいると寒い時期が長い。北海道や東日本の方々には怒られそうだが、毎年この時期になると寒いのも飽きたなと思う。暑い寒いに飽きるっていうのもどうかと思うが飽きる。 ちなみに北海道の人にそもそも家の構造が断熱とかで温かいの
駅近くの喫煙所で近くにいた大学生二人組が 「この2年半何となく過ぎて行ったわ」 「あー、確かに。俺も何もしてない」 「折角の大学生活なのに」 「確かに」 みたいな会話が耳に入ってきた。 確かにな、とは思う。 自分は大学時代が何となく過ぎて行った感覚が無きにしもあらずだが、折角の期間というイメージ的にはそうなのかもしれない。 去年に知り合いから聞いた話では、その知り合いの中学生の甥っ子が初めて付き合う事になったらしいが、相手のマスクを取った顔を見たこと無くて、今度初めて見るら
自転車を漕ぐ。 時にゆっくりと、時に必死に。 世界の歯車になろうと漕ぐ。 足が悲鳴を上げたり、汗まみれになったり、手が悴んだりするが、懸命に漕ぐ。 日銭を稼ぐために漕ぐ。 ウーバーイーツである。 生活の主軸である演劇関係のみでは苦しい時期がもちろんあって、その時期に漕ぐ。 主宰がウーバーイーツなぁと、思う時もあるが映画監督も映画だけで生活してる人は限りなく少ないと自分を励ましつつ、漕ぐ。 交通ルールを守らない人が多いからからか、たまに白い目で見られながらも、自分は交通ルール守
高校の時だったと思う。 ある教師に理不尽に殴られた事がある。頭を思いっきり何発か。パチンとかでは無く、バコンと何発か。職員室に入った途端に。それはそれは理不尽に。 まだギリギリ、ほんとギリギリ教師が手を出す事がグレーな時代。自分が悪くて叩かれたり、罰を受けたりした事は何度かあって、今となってはいい思い出だし、理解出来る。自分が教師だったら発狂してたかもしれない。むしろ叱ってくれた教師に感謝とそしてごめんなさいとも思う。本当は絶対駄目なのだろうけど。 ただ、その時のいきなりバコ
今年の3月ぐらいだったと思う。 駅の喫煙所にいたら、大学生の二人組の会話が聞こえてきた。 「この二年、何となく過ぎてしまった」 「あー俺も、何なんだろうねぇ」 「あとは就活して、何もしてない。折角の大学生活なのに」 「でも、○○はダンスやっててさ、大会にも出てさ」 「まぁ、そうなんだけどね」 ダンスやってると言われた方をチラッと見ると何か得意気だった。 何故かふとその光景を思い出した。 折角の大学生活なのに。 自分の大学生活はこの情勢では無かったが、それでも折角の大学生活を
携帯の電車の乗換案内のアプリと勝負する事がある。 アプリは優秀で、電車を降りてから他の路線に乗換の移動に要する時間を計算してくれて、最適な時間を表示してくれる。 初めて行く駅とかだと迷って乗換案内に負ける時もある。そんな時は理不尽にもアプリを恨む時もある。 しかし、改札に近い車両等、地理を知っていて最短ルートを知っていると乗換案内に勝つ時がある。移動に要する時間をアプリより短縮出来て、一本前の電車に乗れたりする。 勝利である(もちろん駅構内で走ったりするのは迷惑なので、何食わ
桃太郎電鉄というゲームがある。 社長になって日本や世界を電車等でサイコロの出た目で目的地に向かって飛び回り、ご当地の物件を買いあさり、他のプレイヤーと資産を競い、貧乏神がキングボンビーになったり、何かめちゃくちゃな神様に変身するゲーム。 年数も設定でき、99年勝負だ!と当時ルームシェアをしていた友人たちと始めるも20年ぐらいで辞める事がほとんどのゲーム。 99年をやり遂げると、ゲームの成績よりやり遂げた達成感を友人たちと共有するゲーム(あくまで個人的感想) そのゲームの中では
高校時代ラグビー部に所属していた。 負けた回数の方が多く、鍛え方が足りず怪我も沢山したが、今となって思い出すと良き思い出が多い。 自分が高校の時、地元のラグビー部は強いか強くないかではっきり二分していた。 高校のラグビーは力の差が明確に出るスポーツであると思う。 大会で自分たちが100点差以上で負けたチームが、次の試合で100点差以上で負け、そこに勝ったチームも次の試合では50点差ぐらいで負けていた。 優勝したチームと当たっていたらと思うと恐怖ではある。 自分たちは完全に強く
「じゃあ、稽古これでとります。お疲れ様でした」 以前、所属していた団体で翌日が劇場入りという日の最終稽古が終わると、主宰がいつもよりワントーン高く言っていた。 初期の頃は分からなかったが、何回かこの言葉を聞くと感慨深く思うようになった。 良き思い出も悪い思い出もある稽古場から、道具や私物が搬出され、元の状態に戻った稽古場を眺めるのが好きだった。 痕跡みたいなものが残っているようにも、無くなったようにも見てた。 これからが本番なのに。 劇場で千秋楽を迎え、バラしを終えた舞台を見
ゴールデンウィーク真っ只中。 鯉のぼりを久々に見て、公園や道端、電車で家族で行動している方々の姿を見るとほのぼのし、あぁ休日だ、ゴールデンウィークっていいなと思う。 ただ、それは自分がそう感じたいだけで、大型連休じゃなくても家族で行動している方々も多いだろうし、きっとゴールデンウィークだからこそ苦労している人もいるだろし、つくづく自分がその瞬間思いたいように思ってるんだなぁと感じる。 もちろん、それでいいと思うのだけど。 それは羨望だったりするのだと思う。 実際ゴールデンウ
noteを書くようになって、何かを書こうと思った際に色々と思い出すことが増えた。 あれの事を書こうかなと思ったら、その事について思い出し、そしてそれに付随する事を思い出し、そのまま全く違う思い出に想いを馳せている事がままある。 もちろん完全に忘れてしまっている事も多くあるだろうが、思い出さないだけで残っている記憶みたいなものが多くあるんだと気付く。その中でも忘れてしまった方がいい事もあるのだけど。 そんな、忘れてないけど思い出さない記憶みたいなもので、人間の半分以上は形成さ
劇団PIS★TOL再始動公演「ヨーイ、ドン」。 先日、無事に千秋楽を迎えられた。 様々な方々に心から感謝。 中野のザ・ポケットという劇場で連日多くの方々にご来場頂き、日に日に感謝が積みあがって、終わった後は寂しかった。 2日連続で夢も見た気がする。 舞台は明確に終わりがある。 団体によって違えど、比較的長い時間を稽古に費やし、劇場に入り、その空間にセットを組み、照明や音楽を合わせ、役者が立ち、世界が創られる。 そして、ご来場頂いた方々に観てもらい、世界が成立する。 その期間
焦燥感に駆られる時がある。 ポツンと出来た休日ややるべき事が色んなジャンルで押し寄せている時に。 何もしてないんじゃないかと思ってソワソワしてしまう。 もっと出来るんじゃないかとソワソワしてしまう。 最近もたまにある。いや、結構ある。 自己承認欲求と自分はここまで出来るはずだの過信からくるもんなんじゃないかなと思う。そんな時は必要以上にイライラして、近しい人に当たり、後に自己嫌悪に陥ったりもする。 最近はマシになった方だが学生時代はそんな自分と、平気なふりをする自分が
「堀さん、新作書き上がったんでお時間あったら読んで下さい」 去年の4月に仲村大輔氏からLINEが届いた。 読ませてもらい、電話した。 何を話したかは覚えてないが、お互いほどほどにトポトポと酔いながら、興奮して話した記憶がある。 出会ったのはもう何年前。 美輪明宏さんの「黒蜥蜴」に出演させてもらった時に共演させて頂いた、小川信太郎さんが繋げてくれたご縁である。 飲みながら電話も数回あるが、その時の電話は長かった気がする。 4月に上演される劇団PIS★TOLさんの舞台「ヨーイ
「何で先生になろうと思ったと?」 コロナの時代になる前に帰省した宮崎で、教師になった友人に聞いた言葉。 「ん~なりたかったから」 「大変やない?」 「大変よー。でも、楽しいか楽しくないかで言われたら、楽しいから俺は恵まれてる方やと思う」 ビールを飲みながら、そんな会話をした記憶がある。 「生徒たちが可愛い時があるとよ。ムカつく時とか理不尽な時もかなり多いっちゃけど」 そうだろうなと思う。想像するしかないが、教師の前に昔から知っている友人である。 小・中・高校と