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お仕事の記録①

なんとなく、
職歴でも書いてみようかなと

高卒、情報処理の会社に就職
成績では対象外の会社だったけど
先生の推薦で入りました

ブラインドタッチを競技として訓練すると
ハッカーみたいな速度になる才能があり
学校が宿泊費を負担してくれて
全国大会に出たくらいには得意だった
(過去形なのは、普段の仕事で入力するのと競技は、全くの別物なので競技としての参加は今していないからです。そして、PCに詳しい訳ではないです。)

最初の会社だけが正社員でした
多摩モノレール沿いの
大学がちらほらある地域に
ぽつんとあった事業所で
同じ学校から4人で就職

高幡不動駅で待ち合わせて
4人でモノレールに乗って、
お昼も4人で食べて、帰りも一緒
休みの日も会っていたりで
学校の延長のような日々でした

なのに、2ヶ月で私だけ恵比寿へ転勤

カード会社のビルの1部屋を
勤めていた会社が使っていて、
カード新規会員
(留学するための学生クレカ)
審査前のデータ起こしが主な仕事

留学勢はお金持ちばかりで、
親の年収項目をチェックしながら
黒革の手帖みたいに控えを作ったら
売れそうねーとか思ってたり

今みたいにその場で
iPadに入力するのではなくて
紙の申込書をデータ化する時代

入力担当では私だけ正社員だったから
仕事のルールを共有したり
カード会社の方とのやり取りとか、
派遣さんのリーダー的な事を
高卒でやらなければいけなかった。
派遣さんは、舞台女優さんで
オーディションまでの繋ぎとか、
主婦の方とか…

今思えば高卒正社員の私より、
派遣さんの方が手取りは
良かったかもしれないなと思う

金の卵と呼ばれていたのは
褒められていたんじゃなくて
なめられていたんだ!と
後々、気が付きました

土日休みで、平日は帰りにライブ
土日は遊んだり、
リフレクソロジーの勉強をして
筆記と実技の検定を取って転職しました

年上の大人達への恐怖心もあって
京王線3番ホームに鼠はいるし
満員電車で嫌な事もあり
着々と社会にのまれていった

この頃が過去最弱メンタル期
ボロボロだったんですが
実家の色々もあったけど

そもそも予定を入れすぎで
疲れていた説があり。
ふりかえると気付けるけれど、
その時は一生懸命生きていたから
なんで!!こんなに!!
具合が悪くなるの…
コントロールできず毎日泣いてました
当時の自分に言ってやりたい
「ちょっと落ち着け」と

つづく


✳写真
水色の空に浮かぶ白い月がすきです☁




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