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「東浩紀突発#160 大晦日ひとり語り」の感想。ー2024年12月31日

 ひとり突発、静かだけれど伝わってくるものが多々あって何かを書かずにはいられないので書いてみます。語られた主なトピックは以下です。

・2024年は突発をやり過ぎた。
・動画が主流になって「ゲンロン」はどんどん読まれなくなっている。
・デジタルでどう読まれるかが問題。
・ゲンロンはオンリーワンの発明。いまは別な発明が必要。
・文章と動画の生態系を作りたい。突発芸人だけではいやだ。
・これからは、未来に残る本を書きたい。今までの本は残らない。
・死を意識する歳だから自分の仕事、哲学をやりたい。
・動画で駆動される世界はディストピア。
・ディズニーランドという嘘を求める人間の現実性が面白い。
・真実を求める世界は必然的に戦争になる。

 すごく遠くから東さんの仕事=哲学を俯瞰して見れば、世界を変えるのは真実や正義や善という明示的な理念ではなく、直接的にはなんの役にも立ちそうもない外部的な喧騒だ、ということだと思う。喧騒は客的や平和ボケにも繋がっている。
 幸か不幸か見えすぎる目をもった東さんは、SNSやAIに振り回されてどんどん息苦しさを加速している世界のその先を考えざるを得ないのだろう。東さんにとって訂正や喧騒は抽象的な絵空事ではなくこれからの世界への具体的な処方箋なのだ。
 妄想的かもしれないけれど、東浩紀は喧騒のネットワークを世界中に張り巡らそうとしているように見える。ゲンロンカフェ、シラスはその一部だ。東さんはビジネスと言っているけれどその実践こそが彼が考える哲学や批評だということは大事だ。このコンセプトは一朝一夕のものではない。
 それは『存在論的、郵便的』(郵便本)まで遡らなければならない。この突発で東さんが言っていたけれど、『一般意志2.0』から東さんに興味をもった僕は少数派らしい。僕はそこから『観光客の哲学』、『訂正可能性の哲学』へ進んで、最近、むかし挫折した『存在論的、郵便的』をじっくり時間をかけて読み直した。そして東さんがやってきたことが一本の線のように見えてきた。
 『存在論的、郵便的』の唐突な終わり方は、言葉で書かれるしかない哲学の限界と不可能性へのぎりぎりの思考のあとの必然的な帰結だったのではないか。郵便的な幽霊や誤配は言語の中ではなく現実の世界を通過しなければならない。東さんの哲学はここで大きく転回した。
 哲学にとっての現実とはズバリ読者だ、世界情勢ではない。ここが東浩紀の真の切れ味だ。だからゲンロンカフェやシラスではコンテンツもさることながら観客の獲得が重要になる。友の会の会員も同じだ。この人文コンテンツと観客のタッグが、『訂正可能性の哲学』の最期に出てくる、政治や哲学という大きな主題には何の影響も与えないだろう外部としての喧騒のネットワークを形成する。
 ではなんの力も直接発揮できない喧騒がどんなメカニズムで世界に作用し訂正を促すのか。それこそが東さんのこれからの思考の本丸だと思う。その答えのヒントは郵便本の最後で論じられたフロイトの転移概念の郵便的アップデートだ。転移は、何かが取り憑いて人が変わるというようなオカルト的な響きをもっているが、東さんはあっと驚く現代的かつ論理整合的なアプローチを思考しているのではないか。
 東さんは、ご自身の本が読まれないことを嘆いていたけれど、分からなくてもいいから一度読んでみるという条件をつけてでも、東浩紀による『存在論的、郵便的』の自著解説というコンテンツは結構需要がありそうだ、僕は見たい。それには郵便本の電子書籍化は必須だ。

 最近スタートした若い植田将暉、山内萌のお二人が頑張っている、「人文ウォッチ」はコンテンツというよりメディアとしてのプラットフォームだから可能性はとても大きいと、素人ながら思う。日本人はコンテンツ作りには秀でているがプラットフォームやエコシステム作りは苦手だ。この分野は一番手が一人勝ちする、それも大勝ち。
 『訂正可能性の哲学』の最終章で東さんは、「文学の噓」が「政治の真実」に作用すると言う。文学という嘘=喧騒は漫画やSFやアートや音楽や映画やドラマやアニメなどのあらゆるエンタメにまで拡張可能だ。実際ゲンロンには漫画、SF、アート、批評などの講座の実績が豊富にある。批評は中身も大事だが読者=客はより重要だ。だから批評こそエンタメ=ビジネスをくぐり抜けるべきなのだ。
 ゲンロンは人文だけではないエンタメも含んだ二つの喧騒の複合体だ。「人文ウォッチ」があるなら世界を相手にした、「エンタメウォッチ」があってもいい。人文はどうしても日本語の壁が厚いが、AI翻訳の追い風でエンタメは日に日にボーダーレスになっている。
 新年の妄想そして初夢だが、東さんの「おれはユーミンが神だと信じ続けている」という先日のツイートを元にした短いエッセイに、ゲンロンの「エンタメウォッチ」のプラットフォームを介して世界中のユーミンファンから一万以上のイイネが集まり、その横には当たり前のようにネトフリの新ドラマの広告が掲載してある、という光景も可能なのでは。

 東さんの静かな熱情に動かされるまま長々と書き連ねてしまいました。誤解や思い込みがありましたらご容赦ください。2025年も人文とエンタメという二つのすばらしい喧騒で生き抜きましょう。


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