生成AIの利用があたり前になった未来のイノベーションのアイディア
堀井秀之
日本社会イノベーションセンター(JSIC)代表理事
東京大学名誉教授
このnote記事は、2024 年10月22日に実施されたinnotalkというセミナーでの講演内容に基づいています。
熟達者AI開発の背景
2023年には、ChatGPTの衝撃がありました。過去のAIブームは社会の期待に応えることができず、ブームは去っていった歴史がありますが、今回のブームは未来の社会変化の契機になると思いました。このような社会変化の契機になるような出来事に直面したとき、どのような社会になるのかを考えることはとても大切です。
革新的技術を契機とした未来社会を考えるとき、推論は概念的であるよりは、具体的であるほうが深い考察につながると思います。それが、どういうことなのかを熟達者AIを例に説明してゆきたいと思います。
2023年8月には生成AIについてじっくり考える時間がとれました。2009年より i.school を運営し、人によるグループワークを行ってイノベーションにつながるアイディアを創出する教育を行っている立場として、生成AIにどう向き合うのかが問われるものと考えました。
まず、生成AIの開発に関連して自分たちがやるべきことがあるのか、その道の人々に任せておけばいいのかを考えました。
生成AIに対する社会的関心、期待の高さと、開発に対する投資の活発さを考えれば、生成AIの発展は疑う余地はないでしょう。大規模言語モデルの学習するデータはどんどん大規模化され、扱うタスクもより複雑化し、難易度の高い課題をこなせる様になるでしょう。生成AIの万能化をみんなが目指しているように見えました。しかし、インターネット上のデータを学習する宿命として、出てくる結果は一般性の高いものにならざるを得ないでしょう。
昔、熟達化研究が精力的になされ、チェスの名プレイヤーからデザイナーまで、あらゆる分野の熟達者が研究されました。簡単な問題からコンピューターに解かせ、問題の難易度を上げると、コンピューターには乗り越えられない壁にぶちあたってしまう。しかし、熟達者は難しい課題を、難なくこなしてしまう。それが熟達化研究のなされた動機でした。
熟達者は特定分野に対する深い知識だけでなく、豊富な経験知、暗黙知をもっており、難しい問題に対して最適解を瞬時に提示することができます。直観性は熟達者の特質の1つです。この直観性をコンピューターで再現することはできないか?誰も直観性に取り組もうとしているとは思われず、自分たちでやるしかないと思い立ったのが、実は熟達者AIの開発に着手したきっかけです。
熟達者AIの概要
現在、4名の熟達者に協力頂いています。私、堀井がアイディア創出、イノベーション教育を担当し、永井一史先生がデザイン、吉見俊哉先生が社会学、沖大幹先生が気候変動・水循環をカバーしています。ご協力頂ける熟達者を増やし、百科事典のようにいろいろな分野をカバーしたいと考えています。
熟達者AIは学ぶ人を支援するツールとして開発しました。学びを支援するために、熟達者AIは3つの機能を備えています。①質問に答える、②アイディアを提示する、③アイディアにフィードバックを返す、という機能です。
①質問に答えるという機能は、現在すべての熟達者に対して用意されています。例えば、堀井AIではアイディア創出法に関して質問をすれば、ChatGPT とは異る堀井AIなりの答えが返ってきます。これは他のデジタルクローンと類似の機能ですが、書籍の著作権を持っている熟達者の協力を得ており、無断で学習するようなことはしておりません。熟達者の経験知・暗黙知を学習することを目指しています。
②アイディアを提示するという機能は、最初に取り組んだ機能で、熟達者の直観性をコンピューターで再現することを試みたものです。他の熟達者AIに広げていくこと、機能の能力を向上することを続けていくつもりです。
③アイディアにフィードバックを返すという機能は、学ぶ人のニーズに応えるために追加しました。こちらも他の熟達者AIに広げていくこと、機能の能力を向上することが必要です。
熟達者AIの公開版をリリースし、いろいろな方にお使い頂く中で、どのような質問をしたらいいのか分からないという声をお寄せいただきました。確かに、その領域にある程度の知識がなければ、有益な答えが返ってくるような質問をすることは容易ではありません。そこで自動質問作成機能を①質問に答えるに追加してみました。
「質問を探す」というボタンを押すと知形図と呼ぶべき地図が現れます。知名と呼んでもいい知識のタイトルが知形図上に記されています。興味のあるところをクリックすると、3つの質問が自動作成されます。1つを選んでクリックすると質問の入力欄に転記され、質問に対する熟達者AIの回答を得ることができます。
実際に使ってみた感想ですが、まずイノベーション・ワークショップ(以下、WS)で有効に活用することが出来ます。アイディアを評価して、ベストなアイディアを選ぶ。アイディアの精緻化に移るべきか、もう一回PDCAサイクルを回すために再試行したほうが良いか判断する。アイディアの精緻化で論点としてどのような検討事項を挙げるべきか。最終アイディアに対するフィードバックなど、聞いてみたい質問に対して熟達者AIから回答が得られ、イノベーションWSの質を高めることが出来そうです。
さらに、質問力を鍛えることに使えます。最初は自動質問生成機能で作成される質問と熟達者AIによる回答から学びを始め、作成される質問を分類し、有益な回答が得られる質問と特徴を把握することによって、良い質問の要件を分析します。学びを繰り返すうちに、自分でも良い質問を作成できるようになるでしょう。
とにかく、熟達者AIを使うのは楽しい。知的好奇心を満足させる道具であると思います。書籍を読んで知的好奇心が満足されるように、むしろもっと手早く楽しむことができます。知的暇つぶしにも最適です。これは未来の学びの道具、手段になり得るもとだと感じます。
いろいろな方に熟達者AIを試して頂き、新しい活用の方法を試して頂いています。熟達者AIにご協力頂いている吉見俊哉先生は、「自分との対話」として吉見AIに自ら挑むような質問を投げ込んでおられます。「Attack me」という有名な講義さながらの対話でしょうか。成果は12/13に予定している私との対話イベント、i.school innovation dialogue でお話しいただきます。私の関心は、熟達者AIが参加頂く熟達者の方にとってどんな価値があるかということです。もし熟達者がさらに熟達することに役立つのであれば素晴らしいと思います。どんな発見があるのか今から楽しみです。
i.schoolの修了生、渡邉真一郎さんは「レポートの質向上」のために活用してくれました。成果を note記事にまとめてくれましたので、御覧ください。
未来のイノベーション
i.school / JSIC では、アイディア創出WSで未来のイノベーションのアイディアを発想し、アイディア事業化WSで今起こす事業の事業計画を作成する、という流れで教育しています。未来のイノベーションのアイディアは、今すぐ事業化できるわけではないので、今起こす事業、つなげる事業、未来のイノベーション事業という3段階を考える事業化戦略をとっています。
実際の事業化では、今起こす事業の事業化を進める中で、未来のイノベーションのアイディアが発想されることもあるでしょう。大切なことは、今起こす事業のアイディアと未来のイノベーションのアイディアの間を行ったり来たりすることができるスキルを身につけることです。
熟達者AIサービスは今起こす事業です。今の当たり前の下で事業として成立しなければなりません。そのためにはお金を払ってくれる最初の顧客を特定し、その最初の顧客からサービスを軌道に乗せるための学習をすることが重要です。
熟達者AIサービスを進めている時、未来の大学の講義を思いつきました。熟達者AIを活用した授業です。講義は以下のように進められます。
教科書を選べば、AIが教員の顔と声で動画クリップを自動作成します。動画の長さや、学生のレベルを指定するだけで動画クリップが作成されます。学生はその動画クリップを観て事前学習します。また、熟達者AIの自動質問作成機能を活用して学びを深めます。自身でも質問を作成し熟達者AIの回答を得ます。
熟達者AIがうまく回答できない質問もあるはずです。知識がまだ存在しないことに関する質問なら、熟達者AIはうまく回答できないはずです。そのような質問を作成することが学生に対する事前課題となります。
熟達者AIがうまく回答できない質問を持ち寄って未来の講義が対面でスタートします。教員がそのような質問に回答できる場合もあるでしょう。できない場合は、どうしたら解が得られるか、教員と学生が議論することになります。知識がまだ存在しないことに関する質問に対して、解を得る方法を議論します。すなわち新しい知を創造する活動がスタートするのです。成績は、熟達者AIがうまく回答できない質問の質と数、議論におけるパフォーマンスで評価されます。
生成AIの活用が当たり前になる社会とは、人間がやらなくてもいい事をやらなくてもいい社会でしょう。教員は講義ノートの準備から開放されます。学生は教科書に書いてあることを学ぶために、大人数講義に座っていなくても済みます。知を創造するための議論は教員にとっても、学生にとっても楽しいことでしょう。知の創造に魅せられて、研究を志す学生も増えるでしょう。
大学は過去に1回パラダイムシフトを経験しています。大学は神父養成機関として生まれ、神に近づくための真理探求の研究がなされていました。1700年頃、ベルリン大学でパラダイムシフトが起こりました。文系であれば書籍に囲まれた、理系であれば実験器具に囲まれたゼミナールという空間で、研究をさせると目を輝かせて学生が勉強するようになったのです。教育と研究を結びつけるフンボルト主義、その後300年も続くパラダイムが生まれたのです。
生成AIの出現は新たな大学のパラダイムシフトを予感させます。新たなパラダイムが生まれるのでしょうか。熟達者AIの活用を考えると、新たなパラダイムが生まれるというよりは、フンボルト主義に回帰することになるのではないでしょうか。
未来の大学では、対面で集まる価値のあることを対面で行う場になるでしょう。対面で行う必要のないことは、AIを活用していつでも、どこでも独学で学べることになるでしょう。対面で集まる価値のあることを考えれば、①知の創造、②知の活用、③チームワーク力の育成があります。①は今説明した通りです。既存の知識を活用して問題解決したり、イノベーションを起こすなどの実践的講義は②知の活用に当たります。①、②を通じて③チームワーク力の育成がなされます。③チームワーク力の育成を目指した講義もあるかもしれません。
今回の「未来の大学」という未来のイノベーションのアイディアは、熟達者AIサービスという今起こす事業をやりながら思いついたアイディアですが、未来のイノベーションをまず発想し、つぎに今起こす事業のアイディアを発想するという訓練をしていたから出来たことなのだと考えます。
教育以外の分野へのアナロジー
熟達者AIサービスから「未来の大学」を考えるということは、教育分野において生成AIの活用が当たり前になった社会のイノベーションを考えることだということができます。生成AIによる影響は教育以外のあらゆる分野に及ぶものと思われます。教育の分野における発想を教育以外の分野に広げることはできないでしょうか。
「未来の大学」の発想の原点は、「どうして本に書いてある知識を、大人数の一方向的な講義で学ばなければならないのか?」という疑問にありました。生成AIの活用が当たり前の未来におけるイノベーションのアイディア創出WSをバイアスブレイキング・アプローチにより実施することが有効かもしれません。
バイアスとは思い込みを意味し、常識や社会通念、慣例などにより、そうすることが当たり前と思い込んでいることを指します。そうする根拠を探し、バイアスを崩すことの可能性とメリットを考え、未来の当たり前から未来のイノベーションのアイディアを発想するのがバイアスブレイキング・アプローチです。
教育において、「大人数の一方向的な講義」というバイアスに対して「自動作成された動画クリップと熟達者AIによる事前学習、知の創造を目指す対面講義」というバイアス崩しにより「未来の大学」というアイディアを発想したことのアナロジーとして、教育分野以外の1分野に対して1回バイアスブレイキング・アプローチによるWSを行えば、その分野における未来のイノベーションのアイディアを生み出すことができます。10分野に対して10回のWSを行えば、10分野における未来のイノベーションのアイディアを生み出すことができることになります。
「生成AIの普及」から概念的に未来社会を推論すれば、「なくなる仕事、出現する仕事」というような表層的なアイディアにとどまってしまうかも知れません。それに対して、「熟達者AI、未来の大学」のような具体的な推論を1分野で行い、他の分野に対してWSを繰り返せば、具体的で構造的な未来社会の推論につながるものと思われます。社会を変える革新的な技術に出会ったときに、その技術によってどのような未来社会になるのかを推論する1つの方法と言えるのではないでしょうか。
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