「姉性本能」
とでも呼べばいいだろうか。幼い頃の私は「お姉ちゃんとは、自分が犠牲になってでも妹を守らなくてはいけないものだ」と信じていた。
そういう美談をよく、ニュースやドラマの中で見てきたせいもあるだろう。
例えば、川で溺れかけた妹を助けようとして自分が命を落としてしまったお姉ちゃん。家に押し入った強盗に向かって「妹は助けて!私はどうなってもいいから」と叫ぶお姉ちゃん。
大好きだったアニメ『ちびまる子ちゃん』の中にも、まる子が狂暴なノラ犬に追いつめられた時、大人たちよりも先に駆けつけ、「姉性本能」全開でほうきを振り回すお姉ちゃんの姿があった。
だから私も、万一自分の妹が危険にさらされた時には、盾となり闘わなくてはいけないんだ。そう思っていた。
のは事実ですが…。一方でどうしてもぬぐえない気持ちもあった。
「ムリだ、そんなの」という、ね。
だって、溺れたり刺されたり嚙まれたりするなんて、現実なら怖すぎるでしょう?他にも様々な場面を想像したものだが、臆病な私は、妄想の中ですら勇ましい覚悟を持てた記憶がない。
せいぜい、妹が小学校に入学した時、「クラスにいじめっ子がいませんように」と祈ってあげるくらいしか、私の姉性本能は働かせどころがなかった。
だいたい私は、母親のヒステリーにすら立ち向かえない子だったのだ。
そんな𠮟り方、理不尽じゃない?と思ったところで、矛先を向けられ説教の只中にいる妹をかばったり守ったりできたことは一度もない。情けない話である。
逆に、私が母の怒りを買い、「出てけ!」と家の外に出されそうになれば、いつも妹が阻止してくれた。
「やだー!でこちゃんがいなくなるの、やだぁぁっ!」と泣きわめいて。ふふ、かわいいヤツでしょ?
考えてみれば、私の妹は私のいない世界を生きたことがないわけで、私がいなくなるという事態が本能的に怖かったのかもしれない。
つまり、「妹性本能」。妹として生まれてきた者には妹なりの、姉にはない性質が備わっていたりして。
なーんて、都合よすぎる解釈をする頭より、一緒に泣いてあげられる心を養うべきだったのではないかな?私という、お姉ちゃんよ。