ヒゲが濃い。
それは男の人だけの悩みではない。実は、私が濃い。放っておくとすぐに鼻の下がふっさりしてしまう。
それを剃るため、幼い頃、母によく台所へ呼ばれた。私の前にしゃがみこみ、
「ンーっ、てして」
と、内側から舌を押し当て、鼻の下を膨らませるよう指示してくる。小さい私の顔に、カミソリが当てづらかったせいだろう。
「はい、今度はこっちをンー」
その時の母のまぬけ顔も、ジョッジョッと肌を伝わってくる刃の感触も、私は嫌でたまらなかった。今ならぴったりの言葉がわかる。「辱め」だ。放ったままではみっともないとの親心だろうが、台所に呼ばれるたび、自分が恥ずべき存在に感じられ、幼心に傷ついた。だから当然、これは二人だけの秘密。
の、はずだったが。
ある日私は気づいてしまう。食器棚の陰からこそっと顔を出し、息をつめてこちらを見つめる妹の姿に。
……!
血の気が引くとは、このことだ。
いつからいるの?最初から見てた?まさかこの前も?もうずっと…?テンパる私をよそに、妹のぱっちりお目々は輝いてすらいたと思う。
「見ないでよ!」と、でも叫べなかったのは、カミソリが当てられていたせいもあるが、そんなことをすればもっと自分が傷つくことを、本能的に知っていたからかもしれない。
その後も度々覗かれたが、私は一度も声をあげられなかった。知ってか知らずか母が注意することもなく、自分で隠れて処理できる年頃になるまで、私の恥部は妹の好奇心にさらされ続けた。
あそこで声をあげる図太さを持っていたら、こんな些細な話、今の年になるまで覚えていなかっただろう。乙女心の繊細さには、執念深さがひそんでいるのだ。
それにしても、妹とのことで、これだけ声のない思い出は他にない。小さな女と女の間に走った緊張は、中々にいっちょまえなものだったなと思う。