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「目標達成の過程で必要な日課を課す事と、その注意点」など

43歳からホルンを始めて、たった1年2ヶ月でヨーロッパのナショナルオペラハウスのホルン奏者に就任できた僕の

「リアルに夢を叶える為の思考学」の第18回目です。

さて、今回は「目標・夢を達成するために「目標達成の過程で必要な日課を課す事と、その注意点」を中心に様々な「課題」について書いてゆきたいと思いますが、僕の文章を読んでいて「でも、だって」が浮かんだら、直ぐに

「ならどうする?思考」で対応をお願いします!!

「楽」にも「必要な楽」と「不必要な楽」があります

当たり前の話ですが、「森」はバーチャルなゲーム上でもない限りは、いきなり「ポン」とは出来ません。

「森」と同じく、我々がそれぞれに描く「大きな目標」もしかりです。

でも、あせりますよねぇ、人間ですものねぇ。

僕もなかなかうだつの上がらなかった時期に、あせって結果を出したく近道ばかりを探して準備も不十分(※単純にレベルが足りていなかったのに)のまま高いハードル(有名なオーケストラのオーディション)などを受けては

「惨敗」して、トラウマばかり作っていました。

今思えば「自分の実力をイーブンに知ってから準備して成長してから望む」という事が考えられなかったからで、いわば自分の実力を「勘違い」していたのです。※この記事の最後に詳しく書いています。

オーディションとかだけでなく、日々の「なんだかんだいっての結果」が本当の実力なのです。10回に1回良い演奏が出来る事があったら「その一回」にかけて自分を信じてオーディションに出向くのではなく。その1回が2回3回と増やしてゆき、そして練習のときに10回中10回良い演奏が出来て初めてオーディションでよい演奏が出来るレベルなので、同じ時間とお金をかけなければいけない「トライ」を見間違うと、後の結果が大きく違ってきます。

「10回中1回良い演奏が出できる」という「イーブンな条件」を感情抜きで受け入れて「ならどうする?思考」で黙々と改善してゆくべきだったのです。随分と余計な傷と出費がかさんだなぁ、としみじみ思います。

われ思うに、「目標」が大きければ大きいほど達成させるには、まず結局「小さな目標の達成」を積み重ねて「中くらいの目標」をまたいくつか達成させて後に、気がつけば「大きな目標」が達成できるレベルに自分がなっていて、そこから「大きな目標」を確実に落とす。

というのが結局「遠くて一番の確実な近道」だと思っています。

それ以外の「失敗」の部類で言うと、皆様も多少身に覚えがあるのではないかと思うのですが、例えば「2回に分けて運んだ方が良いけど面倒だからといって無理して全部持って運んでいて、結局落としてしまった」など、

多くの「失敗」というのは、得てして「楽をしよう」と思って行動したときや、あせって「速く終わらせよう」とした時に良く起きるのです。見方を変えれば、この「楽をしよう・早く終わらせよう」も、いうなれば「自分は出来るはずだ」という「勘違い」の部類からの「失敗」とみなす事も出来ますね。

では本題に入りますが、まず「目標」のなかの小さな「日課・ルーティーン」について僕の考えや思いを書いておきたいと思います。

「目標達成の過程で必要な日課」を課すにあたって

大切なのは以下の3点かと、

1.「自分で決めれる」のだから「言い訳せず、守れる事」にする事

2.「自分で決めた事」なのだから「言い訳せず、守ること」

3.様々なタイミングの途中経過で「フレキシブルに変えていく」

です、

では上の3点の「注意点」を更に詳しく書いてゆきます。


1.自分で決めれるのだから「言い訳せず、守れる事にする事」

若い頃に気ばかりあせり様々な事で「初期の課題」を上げすぎて「結局続かなかった事」が沢山ありました。その経験と昨今の様々な気づきから

今は、「自分をイーブンに知り」そして「決して変な無理はしない」という事を常に意識しています。

「かなり余裕で出来る事から初めて、徐々に到達目標の高さに合わせて、あせらず余裕を持って少しづつ上げていく」のがポイントです。

これは特に「大きな目標達成」への初動の段階ではとても大切ですし、「ちょっとした目標」でも全く同じだと考えます。

この類の「目標」とは別の「ルーティーンにするのではなく、早い段階で「面倒な事」として一気に片付けてしまいたい部類の「課題・目標」」というものもあり、それらはモチベーションが高い時に「一気に片付ける」というのも大切で、そのタイミングは人によっては「初期・初動段階」かもしれないですし、ある程度軌道に乗って「このまま進めば目標達成が確実に近くなっている」という「確信を持っている時」かもしれません。

「言い訳せず、守れる事にする事」の目安とは、

さて、「無理さ加減」とうのも「大きな(ちょっとした)到達目標」への「到達願望」が「自分はどれくらい思っているか」で変わってくると思いますし、そもそも「日課やルーティーン」自体も「やりたい事」の部類の範疇の設定に収めておけば、自ずとこなしたりやる事が「苦にならない」で済むでしょう。

逆に言えば、この「「日課やルーティーン」も「やりたい事」の部類の範疇内で」を超えてしまえばしまうほど「やらなきゃ」という気持ちの方が強くなり、何かしらの「言い訳」を見つけて避けるようになり、意図するかせずか時に「忘れたり」し始めて、結局続けられなくなるというのが常です。

何度も書きますが、以前に書いた「イーブンに知る」という記事に書きましたが、人それぞれに「条件」というのがあり、簡単に出来る事出来ない事は千差万別ですので、「日課・ルーティーン」の設定と確実な実効も、まずは「イーブン」自分を把握する事が大切で、その「条件の範疇」で余裕で出来る事から始めるのが良いと思われます。

少なくとも「飽きっぽい僕」に対しては、そうする事で自らを自然体に「目標達成」の方向に確実に動かす事が出来ていると自負しています。

次に、2点目です

2.「自分で決めた事」なのだから「言い訳せず、守ること」

例えば僕の場合は、基本的に24時間すべてを、僕の独りの決断と采配で使う事が出来るので、「自由」とは結局「自己決断と自己決定と自己行動」なのだという事になります。

自分で決めた事を「守るも守らぬも自由です」誰からの咎めもまりません。

これは以前の回に既に書いた「自分が全ての物の縮図の最小単位」という考え方の部類ですが、決めるのも実行するのも管理するのも全て「自分」で、人によっては自分自身の中「三権分立」させる事も「なーなー」に馴れ合う事も可能で、自分自身に全てが委ねられていて、

それが「自由」という世界です。

その世界を作り運営して、発展させるも衰退させるも、全てあなた自身の「決断」と「行動」なのです。

守り続けたり実行し続けて「自分にも出来た守れた」という達成感と自信を維持しつづける為にも、

まずは、課題を「言い訳せず、守れる事にする事」だと「自分で思われる課題」に設定して、

更に「自分で決めた事」なのだから「言い訳せず、守ること」

を遵守してみて一定期間様子をみてみて、問題があるとすれば、最初に設定した「課題」が「簡単過ぎて物足りなかった」という事もあるでしょう。その場合は、必要なら同じ項目をより多く設定する事も出来ますし、内容的に十分なら更に別の項目の課題を増やして対応してゆけば良いでしょうが、

大抵の場合は「続かない・続けられない」もしくは「続けるのに心身ともに困難を要した」という状態の問題に陥る方の方が多いのではないでしょうか?

大切なのは「設定した課題」が「守れなかった・無理だった」としても

「それはそれで別にかまわない」という事であるという事を「本当の意味で理解できるか」です。

「設定した課題」が「守れなかった・無理だった」のは、単に「課題」が妥当ではなかったというだけの事で、言い換えれば自己評価の「自分のイーブンに知る」という精度がまだ不十分だったという事です

ここからが、ポイントで、

それは大抵の場合は「とはいっても、僕はこれくらい出来る」と、まだ自分を「過大評価」している事を意味していて、その意味を

「感情を除外して」本気で理解して受け止めて受け入れて考え直す作業

が、

本当の意味の「自分をイーブンに知る」

という作業なのです。

ですから、「設定した課題」が「守れなかった・無理だった」自分を、別に自分で責める必要も全くなく、冷静に自分の中での「自分をイーブンに知る」という「過剰な自分への期待値・妄想を省いてありのままの自分を理解して受け入れて行く作業」に徹底すれば良いだけで、その作業の一環の合わせ技として、

本日の3つ目の項目が重要になってくるのです。

3.様々なタイミングの途中経過で「フレキシブルに変えていく」

繰り返しますが、「自己判断」で決めた「課題や目標」を遵守してみて一定期間様子をみて、それが無理という事は「課題」が妥当ではなかっただけで、余計な言い訳をせずに「イーブン」に認めて、課題の破棄を含め「再検討」して新しい「課題」を設定するという事が大切です。

「続けたい・目標達成したい」のならば。

「設定した課題」が「続かない、続けられない」のは、そもそもも「目標や夢」が本気でない場合もあるでしょうが、上に書いたように「自己評価(イーブンに知る)の目安が間違って、自分の実力を過大評価していた」という事も多いかもしれません。

この「過大評価」は、本人もなかなな気づかないというか「認めたくない」部類の少しナイーブな問題で「自己評価を過大評価して勘違いしている事」に気がつくのも勿論大切ですが、

更に本当に気がついてほしくて大切なのは

「自己の過大評価」の「本質」は「他者との比較」からの「人にどう見られているか・どう見られたいか」という「他者依存の価値判断」から来ている「価値観」で、今の自分に実力があろうがなかろうが、出来ようが出来まいがは、ただの自分の「今の条件」であって、今いる「場所」と変わらず、まったくどのポイントにいてもいいのです、良くも悪くもないんです、

「ただ、そうなんだ・そこなんだ」というだけなんです。

大切なのはその「正確な条件」を素に「ならどうする?」で「目標」に向かって進んでいけばいいだけなのです。

という事を「本当の意味で理解できるようになる」のが、本当の意味の自己成長のスタートラインに立つ為の当面の課題なのかもしれません。


ということで、今回はとりあえず以上です。

では、

「千里の道も一歩から」小さな一歩が、結局確かな一歩!!

ということで、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!!

皆さんの「夢や目標」がリアルに叶いますように!!

堀江努


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