
やっと日本人が目覚め始めましたね
長年の洗脳・コントロールから、やっと目覚めただけでなく、実行しはじめ「体感し始めた」と感じていて、今はまだその「感覚の体感」が明確な言語化がされていない状態で、遅かれ早かれ、いずれ影響力のある人が「言語化」してくれて広まり定着するのは時間の問題でしょう。
確かな「新しい世界の産声」が上がり始めているのは確かなのですから。
やっとです、やっとです。本当に、本当に、
「新しい世界」とは
「不自然な関係の世界からの脱却」を意味しています。
僕的には言語化すると
「本当の民主主義の芽生え」
です。
例えば「テレビ業界・芸能業界」が良い「本当の民主主義」への変革の始まりの例でしょう、
まず基本的な「人対人の関係」は「年齢や立場」を抜いて「上下」ではなく「人として対等」の関係であるのが基本で「上下関係」は、
これが大切・重要なのでもう一度書きますが、
「上の立場の人が決める、強要するのではなく」
「自分にとって尊敬できる、または従って働きたい・集いたい」と
本人が自ら思い志願し「自分にとっての長(おさ)」を自ら認め選び、
その長に自らの芽生え願って「自ら進んで上と認め従う」
のが自然な流れで、更に「その従う範疇」も「全てに絶対ではなく」やはり最終的な判断は「おのおの個人でどこまで従うかも決める」というのが本来のあるべき自然な姿であると思っています。
その顕著な「先輩・後輩」の関係も、選ぶのは「後輩」がみずから「先輩と認める人」に限り
「一律に年齢や経験で立場が上の人が強要するものではない」
のが「自然な人間関係」だと考えています。
そして、その僕的には「自然な関係性」というのが、今本当の意味で「芽吹き始めている」と感じています、
それが、YouTube や オンラインサロン です。
これが、民主主義政治の本来のあるべき形の芽生えだと気がつくのに、また数年かかるのかもしれません。
自分が認めた「長(おさ)」に自分の意思で集う、気がつけば周りに同じように集う人がいた。というのが自然な流れで、
例えば政治では、日本は今まで「本当の意味の民主主義(本当の意味での代表を選ぶという事)」が行われていないと感じていましたが、その理由は、
「自分たちが主役である」という意味が「本当の意味で分かっていなかった」からだと思いますし、そう思わせない「社会と教育」でした。
更にその
「自分たちが主役である」という感覚の「小さな成功体験」を積ませてもらえていなかった、
言い換えれば
「本当の民主主義の状態でのよい体験」を積ませてもらえなかった。
というのが大きかったと思います。
今までの日本での選挙で言えば
「自分で立候補して」選んでくださいと頼む、でしたが
その「選挙に立候補している人から、選んで投票する」というのは、そもそも「本当の意味での民主主義ではない」と僕は思っていました、
自分の為の「政(まつりごと)」の代表を選ぶというのは、立候補している人から選ぶのではなく、
日常的に「この人に様々な事を任せたい」と思う人を、個人で応援し、自然と人がその人の周りに集い担ぎ上げられた結果「立候補」というのが本来の姿である、と思っています
さらに、そのさまざまなグループから自然に担ぎ上げられた「長(おさ)」同士がさらに集い、そのなかでの話し合いで更に「長が決めた(認めた人)が更にその上の代表「長(おさ)」になる」というのが本来の自然な姿であると考えていました。
そう、自分にとっての「代表」や「立場が上になる人」を、各々が自分で決めて求めて認め担ぎ上げる(応援する)ということです。これは、あらゆる物事で同じです。
ですがそれに対して、日本は今まで「逆の矢印の世界」でした、
僕にとって、あるべき姿はもう一度書きますが
「立候補してほしい人・決め事を決める人になってほしい人」を見つけて頼む。気がつけば多数その人の周りに同じ思いの人たちが自然に集まる
というのが、本来の方向性だと感じていました。
それは「先輩後輩・年功序列」などもしかりです。
先に「上下の立場」を作り(があり)その「上の立場」に属する人たちが「下の立場」になる人に「マウントをとる・強要する」というのが今までの日本でしたが、それがやっと変わり始めてきました。
やっとです、やっと。
次にやっと起こりはじめている「考え方の変革」は、
「学校・教育を受けるとは」です
入学すれば卒業できてしまい、更にその大学で「勉強した内容と関係ない業種に就職する」ような学校に、わざわざお金と時間をかけていく必要がないうえに、大抵の事は「インターネットで自己学習できてしまう」環境が整っている今の世の中、「もう既に大学には行く必要がない」と本気で思っている人たちが増えている、
僕は、絶対に「そこでないと学べない習得出来ない」ことがはっきりしていない場合など特に、もうすでに日本の大学は「腕試し」として「入試」を受けて
「合格通知」だけもらえればいい」
と考えています。人生の時間は「有限」なのですから、
お金に関しては、既に記事を書きましたので
こちらの記事を読んでみてくださいませ
と主張してきましたが、それに対して
「でも、大学出てないと就職できない」
というような反論がありましたが、これにも一言
「そんな基準(リクルートスーツを着るなども含め)で人を選ぶ会社を
むしろ「自ら願い下げ」ればいいですし、「選ばなければいい」ので、自ら進んでいく必要がないのです。これも本来自然淘汰されるべき存在なのです
自分の限られた人生「自分で働く場所や環境は、自分自身で選べるのですから」
そして、昨今「新しい考え方」の企業経営者の方も増えてきています。
今の社会は「民主主義」ではなく「資本家(雇う側)主義社会」で、「資本家」に有利な社会構築がされています、これによって大切な仕事なのに「賃金が低い」という「まじめに働いている人が苦しい思いをする社会」が形成されています。簡単に言うと
「雇う側の采配で、賃金を目減りさせることができる社会」
だからです。
これは、「通貨の仕組み」から「洗脳」されている社会です。
よく考えてみて下さい、
そもそも、はるか昔と違って「金銀銅」や「石高」のような「実際の現物」が「通貨」や「年貢」であった頃は「有限がゆえ」に必要だった国や集合体での「集積活動(今で言う「税金」)」でしたが、
現代のただの「信用」というもので成り立足せることができている「100%人工物」の「紙幣・打ち込まれただけのシステム上の数字貨幣」などで成り立っている現代社会では
気がついていまらっしゃいますか?「有限の現物でない」のだから
「税金」などは、とうの昔に「必要ない社会が構築できる」はず
なのです。
では「なぜ?」そうしないのか、
それは、「資本家(雇う側)主義社会」だからです。
雇う側に有利な状況でなくなってしまうからです。
全ての生まれてきた人間の「本当の幸せ」を考えたら「単なる人工物の紙幣」など「最低限度の衣食住ができる金額」を配ればいいのです、
そして、大切な仕事に従事する人には「もっと見合った金額を配ればいい」のです。
これで、「いやな仕事・つらい仕事」は必然的に「支払われる金額」が高くないと働いてもらえないでしょうから、自然と本来の「仕事の内容に見合った給料」というのが設定されるようになるでしょう。
もちろん極論なのかもしれません、
ですが、みんなが贅沢をするのではなく最低でも「衣食住に困らない状態」になれば、無理して働く必要がなくなるので、最低でも必然的に「ブラック企業」は淘汰されるでしょうし、つらい仕事は、同じ内容のもので「つらくない状態の模索・再現」が行われてゆくはずです。
資本家に有利な社会からの脱却の芽生えが顕著なのは
「芸能界・テレビ業界の崩壊」でしょう、
まさしく「不自然な上下関係・社会からの脱却の芽生え」ともいえ、
いわば「嫌な物・事を選ばない社会の到来」です
いや、むしろ「嫌な物事を選ばない社会の芽生え」という方が「自ら選ぶ社会」よりも前のその社会に移行するための「芽生えの状態」なのかも知れません。
それが、やっと起こり始めました本来「3.11」で気づけたはずなので10年遅れて動始めた、崩れ始めたと思っています。
そして、この雪崩はもう止めることは出来ないでしょう。
今までコントロールを強要してきた人たちの集団の方が、圧倒的少数であることを考えれば、ひっくり返るのは時間の問題でしょう。
「嫌だ」と感じた感覚に素直に「NO」と言えて、さらに「関係を絶つ」事が、普通の世の中になってゆくでしょう、徳の高い人の元に人が集まり、どんなに「立場。資産家」であろうと、威張る自己中心的な人のもとから、人がいなくなる、そんな日本の未来も時間の問題でしょう。
いやなことをしない、いやな人や会社で無理に働かなくて良い生活への移行のアイデアは、以前の記事に沢山書きましたので、気になる方は探って読んでみてくださいませ。