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池坊御一家が御巡視下さいました。~池坊専宗様の巻~ その①

#美しきかな魅惑の池坊展 #華道家元池坊
#池坊専好次期家元 #池坊雅史事務総長 #池坊専宗青年部代表

過日はほりべえが出瓶致しました花展に沢山の方々がお越し下さいました。


今回は #池坊専宗青年部代表  の御巡視のお話でございます。✨✨

🈲画像の無断転載禁止

専宗青年部代表に左脳を指しながら6年前に脳出血で倒れ利き手側に麻痺が残り、
それでも『花を生けたい!』一心でリハビリを続け、今花展に出瓶出来たことを伝える。

『御巡視』というと「巡り見る」「(監督するため)視察する」という意味になりますが、池坊御一家の御巡視は監督するためのような態度は一切ありません。

出瓶者一人一人に何分もの時間を割いて弟子達に心を寄せ、作品に対する感想や池坊いけばなを続けている姿を励まして下さいました。

 側で写真を撮りながら聞いていた主人も、あまりの腰の低さに驚くやら感動するやらでございまして、

「実るほど頭を垂るる稲穂かな」の言葉を体現するお人柄にすっかり魅了され、『いやぁ。あの姿を目の当たりにすると、もうすっかりファンになっちゃうよね!!👍』と言っておりました。
 そうなんです。何十回と池坊御一家に御巡視頂いておりますが、ずうっと変わらない『弟子達に対するリスペクトの心』は専宗青年部代表にも引き継がれており、より一層池坊が好きになりました。


花を生け、自分を見つめる 写真を撮り、一瞬を切り取る


──華道家としても写真家としても活躍しています。いけばなへの向き合い方と写真への向き合い方の共通点や違いは

(途中抜粋)

いけばなは、生けた方の人柄が出るんですよね。写真もそうです。同じものを映しても、同じカメラを使っても、全く違う写真になります。お花を生けることも、写真を撮ることも、その人を映す鏡のようなものだと思います。例えば花を生けるときにきれいに生けたり、写真を撮るときにきれいに撮ろうとしたりするのではありません。花を生けるときは花の命のありさまをそのまま受け入れ、写真を撮るときは目の前の自分の感じたことを写していくようにしています。今ある時間や空間、お互いの関係性を受け入れるような心持ちで、日々花を生け、写真を撮っています。

池坊専宗氏~インタビュー記事より~


花の命のありさまをそのまま受け入れる。


重くズッシリ来たなぁ。

ほりべえは、自分の命のありさまをそのまま受け入れる為にも、
池坊華道を精進したいと思います。



──「花を生けること」は、池坊さん自身にとってどのような意味を持ちますか

(途中抜粋)

僕にとっては、花を生けることも写真を撮ることも特別なことではなく、自分の日常のひとときです。お花と向き合っている時間は、忙しい日々の中でも何か瞑想(めいそう)的な時間というか、花を通して自分を見ているような心持ちになります。

写真を撮る時も、自分の心が動く瞬間を映すので、貴重な瞬間を一つ一つ形にしていくような感じがします。

お花を生けるとか、写真を撮るとか、そういう少し立ち止まって自分に向き合う時間がないと日々をあっという間に駆け抜けてしまう。忙しい日々でも、自分自身に対して少し立ち止まると、少しずつですけど、自分の足跡が残っていく気がします。

花も写真も、その時の自分の心境や、命に対する姿勢を反映していますから。昔自分が生けた花を振り返ってみても、まだ技術的に未熟ではあるけれども、宝物のような、自分の一部のような感じがしますね。

同上


花も写真も命に対する姿勢を反映する。


御意にございます。m(__)m


所で、#華道家 #写真家  ってまるでほりべえと同じですね~。

益々、親近感が湧いてしまいます。^^♥♬♥


#東大新聞オンライン #知を尊重する


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