這い上がり社労士受験
2020年8月23日、東京ビッグサイトからの眺めです。
涙ぐむ顔をマスクで隠して、帰途につく受験生の列から外れて外を眺めていました。
社労士試験、二度めの挑戦。
コロナの影響か会場は大学の教室ではなく、東京ビッグサイト。ホールでの受験!
受験番号ごとにホールが分割されて、自分のエリアにたどり着くのは、まるで、息子たちの剣道の試合の会場を探すときのようで、少し笑ってしまいました。
そう。今日は、「私の試合の日」って。
では自己紹介。
私は高2と小6の息子を持つ母親。
4年前に小さな会社の総務で働いたときに感じた「もっと私に知識があれば目の前の人たちの力になれる!」という思いから社会保険労務士の仕事に興味を持ちました。労働基準法で護れる人たちがいる、雇用保険法でサポートできる人たちがいる…はず、と。
しかし、漠然とした想いを残したまま、別の仕事をしていました。
その後、たまたま見つけた社労士事務所の求人に飛びつき入社。社労士アシスタントとして、アシスタントがここまでやっていいの?というところまでやりました。やらせていただきました。
ものすごい修行期間となりました。
たくさんの届出書類、申請書、就業規則、36協定、給与計算。よくこなしたと思います。
大変だったけれど楽しかったです。
「こんなに実務に触れてから試験受けられる受験生はいないよ」と当時のボスにも言われていました。
初年度は独学(LECの参考書)だけで半年ほど勉強しての受験。もちろん不合格。それが昨年の夏。
昨年の夏は試験が終わった後「これからこれから!」と、清々しかったのを覚えています。
社労士事務所で働いていたし、事務所が資格取得支援制度も作ってくれました。
ボスが全面的に応援してくれて、資格取得のための学校(通信)の学費も援助してくれました。
その一年後。
私は社労士事務所を辞めました。
資格取得援助金は「事務所を辞め無い限りは返済義務なし、事務所や受験を辞めるなら全額返済」というものでしたので、援助金を返済して「辞めさせてください」。逃げるように辞めました。
どうしても自分にとって譲れない思いと、ここにはいられないという思いがあっての退社。
ボス1人、アシスタントは私含め2人、事務員さん1人、というアットホームな家族のような事務所でした。
職場なのに家族のようになると、良いことばかりでは無いと知りました。
詳細はここで語ることは控えますが、家出のように退社。心も体もボロボロになりました。
5月末、過呼吸から全身硬直の症状で救急車を呼びました。このままでは命がもたない、そういう状態でした。
実務経験面でも経済的な面でも大きな後ろ盾となっていた事務所との決別。
生活に余裕があるわけでも無い、これから学費がどんどんかかる息子を抱えての主婦受験生。
一人ぼっちになりました。
その時点で勉強も進んでいなかったので、受験を辞めるという選択肢もあったはずですが、
私は受験を決めました。
合格より大事なものがある。息子たちにそれを見せなければ。願書締め切りギリギリに滑り込み申し込み!
合格しないと分かっていても受ける。勉強を辞めない。受験会場に行く!その姿を息子たちに見せる!そう決めました。
それが2020年の社労士受験。
そこから勉強リスタート。
なんとか、IDE社労士塾の通信教材を、一通り終えるところまで。情けない話ですが、終えたのが8月。どこまでもギリギリ。
そして迎えた試験当日。自分の目標設定をしての受験。今年は受かる受からないの戦いではなかったので、直前の緊張などはありませんでした。
事務所の後ろ盾を蹴飛ばして飛び出した自分自身とのけじめ、約束、戦い。
それが東京ビッグサイトでの受験でした。
次回「ちゃんと負けること」に続きます。
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