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写真がもっと楽しくなった日 〜幡野広志さんのワークショップに参加して〜

幡野広志さんのワークショップに参加して何が変わったのか

もう1週間。まだ1週間。

先週の土曜日、幡野広志さんのワークショップに参加した。
あれからちょうど1週間。
教えていただいたことを反復するように、毎日写真を撮っている。

noteにもたくさんの人が幡野さんのワークショップでの体験を綴っていて、その多くが「人生が変わった」と訴えかけている。
私の場合は、人生が変わったかどうかはわからないけれど、写真に向き合う気持ちが変わった。
というか、写真に向き合おうと思わなくなった。

ことの始まりは、去年読んだ幡野さんの『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』。「好きなものを撮る」「見たものをまん中で撮るだけでいい」という言葉がすっと腹に落ちて、ワークショップにもすぐさま申し込んだ。

これまでは写真がうまくなりたいと思っていた

私は10年くらい前に写真を撮るようになって、うまくなりたいといくつか写真教室に通ったことがある。グループ展に出品もした。
その結果、少し上手に撮れるようになったけれど、本当に撮りたいものが何なのかわからなくなってしまったのだ。

どういうことかというと、教室に通ってしばらくすると、先生に褒めてもらえる写真を撮ろうとするようになってしまい、違う先生に習うと、今度はその先生に気に入ってもらえるように意識する。先生方の写真は好きだし、あんな写真が撮れたらいいなと少なからず思っていたものの、先生の好みに寄せていく写真は本当に私が撮りたかったものではないと感じるようになっていった。

写真で自分の内面を表現……しなくてもよくないか?

それに、自分と向き合って内面を表現しよう、という教えが重かった。
私はそこまで真剣に写真に取り組んではいなかったから。
写真はいくつかある趣味の一つ。読書や料理やスポーツ観戦と同じ程度の娯楽でしかない。

幡野さんは、何かを見て心が動いた瞬間にシャッターをきる、それでいいんだ、と教えてくれた。
そんなシンプルな写真との付き合いが私には合っていると思う。
そして、自分の「好き」を表現するコツをつかむためにも、たくさん撮ろうと言っているんじゃないかな。
(誤解があったら、どなたか指摘してくださるとうれしいな)

ヘタだけどいい写真

とにかく今は、ヘタだけどいい写真が撮れるようになりたいと思っている。そうやって撮った写真を後で見返したときに、自分の内面が見えてくるんじゃないかな。内面を表現しようと撮るのではなくて、撮った写真に内面が写っていくイメージ。
そうなるまでには時間がかかると思うけれど、気長に楽しみながら写真を続けていきたい。

近所の砂浜でいろんな足跡を撮るのが好き。ワークショップで幡野さんに現像してもらった。


カラスが飛び跳ねる様子を想像するのも楽しい。


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