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札幌のロシアチョコレート

モスクワを旅した人から、お土産にチョコレートをもらったことがある。人からもらったものを食べておいてなんだが、ただ甘いだけで、砂糖の塊を食べているような気分になった。

だがこれは、"ソ連のチョコレート"であって、"ロシアのチョコレート"ではないのだそうだ。

「あのね、教えましょ。砂糖入れるとそのぶん原価安くなる。ロシア人があまいの好きと言っても、ほんとのロシアチョコレート、ただあまいだけでない。」

神戸で高級チョコレート店として知られたモロゾフの(後のコスモポリタン製菓)2代目、ヴァレンタイン・モロゾフ氏の言葉だ。
ボルガ河畔のティレンガという街で、裕福な貿易商として暮らしていたモロゾフ家の人々は、1917(大正6)年に起こったロシア革命を逃れて神戸に移り住み、この地に伝統のロシアチョコレートを根付かせた。

この「ほんとのロシアチョコレート」の伝統を持った職人が、かつて札幌にいた。今からちょうど70年前、1938年に遡る。

五番館(今の札幌西武百貨店※)の西向かいに、うすいブルーで塗られた木造2階建の建物があった。1階が洋菓子店、2階が喫茶店のニシムラだ。

ここに1938(昭和7)年、職人として東京から招かれたのが、白系ロシア人の青年ニコライ・ザハロフだった。

ニコライのチョコレートやケーキは、帝政ロシア伝統の技術に裏打ちされたもので、たくさんの種類が店に並んだそうだ。それらのお菓子はどんなものだったのだろうか?

現在、日本国内に帝政ロシアの技術に忠実なロシアチョコレートの店はほとんどない。コスモポリタンチョコレートも2006年に廃業した。

伝統を守る数少ない一つが新潟県にある。神戸のモロゾフ氏から習った技術を受け継ぐマツヤの先代、松村稔氏にお話しをうかがった。


ロシアチョコレートは、4つの種類に分けられる。下から順に「泥物(生チョコレート)」、「型物(板チョコ)」、「巻物」、「裸物(カップ入り)」で、マツヤでは主に巻物を作っているそうだ。

シャラシャラと音を立てる色鮮やかなセロファンの包みを開けると、ぽってりしたチョコレートが現れる。口に含んで一口かじる。中から出てくる味がお楽しみだ。「センター」と呼ばれるマジパンに練り込まれているのは、ドライあんずにクルミにプラム、ヌガーにゼリー…。

職人は、巻物以下のものを駄菓子と呼んで嫌うそうだから、ニシムラのニコライが作っていたものも、巻物や裸物が主流だったと思われる。

ずっとこの伝統が続いていれば、「札幌のロシアチョコレート」は、名物になっていたかもしれない。ニコライの味を受け継いだチョコレートが、新千歳空港で売られている様子を想像してみる。色とりどりのセロファンから透かして見える札幌は、白系ロシア人の足跡と歴史も刻まれて、もっと重層的になっている気がする。

※札幌西武百貨店は、2009年閉店

雑誌「札幌人」2008年春号に掲載
※札幌人は、2011年休刊

【参考文献】
『大正15年の聖バレンタイン日本でチョコレートを作ったV・F・モロゾフ物語』
川又一英 PHP研究所

「白系ロシア人の足跡を求めて」
小山内道子 
北海道新聞2000年1月18日夕刊

『白系ロシア人と日本文化』
沢田和彦 成文社

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