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俺のおやじ、ミノル 【其ノ漆】俺のおやじ、ミノルは、 サボることにかけては、決して手を抜かなかった。


それは、ミノルが中学生の時のことだった。


当時、おやじの通っていた佐原中学校では、
今時分、利根川をまたいで帰ってくるという
マラソン大会があった。

佐原中学校から水郷大橋を渡って茨城県側に入り、
西代(にっしろ)というところで
折り返して戻ってくるという、全長10km近くはありそうな
マラソンコースだったそうだ。

当然、おやじはばっくれた。
その手口が巧妙である。

戦後間もなかった当時はまだ道がでこぼこで、
車も飛ばさなかったので、
おやじは、まず悪友とちんたら走っている小型トラックをみつけ、
その荷台にひょいと飛び乗った。

そして、そのまま水郷大橋をわたって、
折り返し地点の手前で飛び降り、路肩の茂みに隠れていた。

そうして、しばらくして先頭集団をやりすごし、
ある程度生徒が通過したところでようやく腰を上げ、
折り返し地点で手に黒マジックを塗ってもらった。

もちろん、このまま走ってゴールに向かうはずもない。

復路でも同じような荷台のある車を見つけたおやじたちは、
当然のごとく車に飛び乗り、水郷大橋をわたって、
今度は利根川の土手で寝転んでいた。


これが命取りとなった。


「まだ先頭は来ないからしばらくはゆっくりしていられる!」
そう思ったおやじたちは、
しばらくしてウトウトと居眠りしてしまったのだ!

ふっと目が覚め、土手の反対側のコースを見回したが、
人っ子一人見当たらない。
あわててゴールである学校のグラウンドに戻ってみると…..

すでにレースは終わってしまい、
生徒はみな解散した後だった……。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以下、2013年1月、本記事執筆当時のまま掲載します)

そんなおやじ、ミノル。
オレのおやじ、ミノル。

せめて、おやじのアホ話をひととおり綴り終わって、
「なにかほかに話はないかい?」
なんてオレが訊くまで、いのちの灯をともしてくれたら、
と願って始めたのに......

呼吸器疾患を患って10年余、
鼻に酸素の管を通しながらも、
78年の生涯を閉じる2日前まで
自転車に乗って通院していたなんて、
やっぱりオレのおやじらしいや!

2013年1月17日
午後6時55分
突然、旅立っちまいやがったおやじ。


なんとなく、こういう日が
遠からずやってくるだろうな、と
いう気はしてたんだ。

おやじ自身も、きっとうすうす悟っていたんだろうな。
正月の話しっぷりから、そんな気がしていたんだ。

さびしいよ。

もっと話したかったよ。

でも、孫たちにも「じぃ、じぃ」って愛されて、
少しは親孝行できたかな。

志半ばで往かれちゃったので、
どうしようかなとも思ったんだけど、

オレが知っているエピソードがあるかぎり、
しばらく続けることにしようかな…….

ともあれ、
オレのこどもたち、そして家族を、
見守っててくれよな。

オレの大好きなおやじ、ミノルへ。


ぴーこ


#創作大賞2022

#俺のおやじミノル

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ぴーこ
実家にいた頃は、俺にはおやじはいるのか?と思うくらい、夜遅くまで呑みあるっていて顔を見る機会も少なかったおやじ、ミノル。晩年は缶ビール1本を飲むか飲まないか、というレベルの酒量でしたが、それでも楽しく嗜んでいたようです。おやじへの酒代として大切に使わせていただきます。