コラム:数学の未解決問題に見るホープワークの未来
大知俊基(ぼす)
大学時代は数学を専攻していました。数学にはまだ解けていない問題がいくつも存在します。これらは「未解決問題」と呼ばれ、長い間、数学者たちが挑戦し続けています(私は挑戦しませんでしたが 笑)。
「リーマン予想」「P≠NP問題」「コラッツ予想」「ゴールドバッハ予想」などが代表的な未解決問題です。最後の「ゴールドバッハ予想」は、1742年にクリスティアン・ゴールドバッハによって提唱された予想で、『すべての2より大きい偶数は2つの素数の和として表せる』というごく単純な問題です。膨大な数の具体例については検証されていますが、全ての場合において正しいかどうかはまだ証明されていません。
一方で、解決された問題もあります。「フェルマーの最終定理」という言葉自体はお聞きになったことがあると思います。
『3以上の自然数nについて、
となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない』という、これもごく単純な問題です。350年以上未解決でしたが、1994年にアンドリュー・ワイルズというイギリスの数学者によって証明されました。
さて、ここで数学の講義をしたい訳ではなく、なぜこんな小難しいことを言い始めたかというと・・・。
これらの未解決問題自体が解決したからと言って、我々の生活が直接大きく変わるような劇的なことが期待できるかというと、残念ながらそうではありません。だた、いくつかの「希望」がそこに垣間見える気がしています。
ひとつの例を挙げると、これらの問題に取り組む過程で、新しい数学的な理論や手法が開発されることがよくあります。例えば、数論の未解決問題に取り組む過程で暗号理論やデータ解析の基礎が形成されました。現在、ネットワーク上でデータを暗号化でき安全に通信できているのもこれらの理論のおかげです。
多くの数学者たちはなぜ未解決問題に挑んでいるのでしょうか?それは「なぜ山に登るのか?それはそこに山があるからだ」と同じです。解けないからこそ挑戦する価値があり、それに取り組む過程で新しい視点や発見が生まれます。数学者たちは、問題が解決された瞬間の発見と知識の広がりに期待し、挑み続けています。
我々の「未来」も未解決問題に似ています。誰にも分からないけれども、誰もが手に入れたいと想い描いている、描き続けている。分からないからこそ描き続ける価値があり、未来へのストーリーを想い描く過程で新たな発見や視点が生まれ、日常が大きな可能性に満ちたものになります。
分からなかった「未来」がいつか見えるようになるのでしょうか?
その答えはまだ未解決です。
_/_/_/_/ ホープワークニュースレター vol.36_/_/_/_/
<希望の便り from ホープワーク協会>2024.10.4