「Mothers」にみた命の循環〜水彩画家永山裕子さんの個展「花の楽譜」
2024年2月22日〜3月3日まで開催されていた水彩画家永山裕子さんの個展「花の楽譜」(セイコーハウス銀座ホール=銀座和光内)に、最終日直前の3月2日に行ってきた。
Facebookで友人がシェアしていた絵の写真が、私が知る水彩画とは異なり、鮮やかで生命力に溢れていたので、実物を見てみたかったからだ。
NHKのオンライン講座やそのほか専門学校でも教えていたり、メディアにも時折出ておられたりしているとのことで、会場は多くの教え子やファンでごった返していたが、間近で水彩の濃淡、タッチの繊細さを確認しながらの絵を見ることができた。
幸運なことに、撮影を許されていた新作「Mothers」を前に、永山さんがご友人に作品を説明している場に居合わせた。そのときに聞いたお話を記憶を頼りに記しておく。
しばらく前に永山さんが寄贈を受けていた金屏風、何を表現すればよいのか逡巡しながら長い間置いてあったそう。
施設に居住されていたお母様と、制作の合間に面会されるなかで今回の作品のモチーフが生まれ、展覧会開始ぎりぎりまで手を動かし、作品に向き合ってこられた。
育ててくれた母への懐かしさと、幼子のようになっていく現在の母への葛藤を経た慈しみ。
もちろん、常にその視線と感情は行ったり来たり、揺らぎはあったに違いないけれど、それは永山さんだけではなく、この超高齢化社会に生きている多くの人が経験する感情なのではないか。
正確な言葉ではなく記憶違いがあるかもしれないが、永山さんは子育てを経験されなかったそうだけれど、お母様の介護のなかで慈しむ感覚を得られたという趣旨のことをお話されていた。
作品にちりばめられているボタン群については「東日本大震災の時に被災地で集められたものだ」と、説明されていた。
誰かの暮らしを彩り、着ていた人が「存在した痕跡としてのボタン」が、新たなエネルギーを得たようにちりばめられた絵は「鎮魂であり再生の表現でもある」と、私は受けとめた。
この「Mothers」は、一ついのちが生まれ、抱えられ、育てられ、また命が胞子のように噴出し、循環していくさまを描ききっていた。
この絵を実際にみて、また作品にまつわるエピソードをほんの少しだけ、まるでギャラリートークのようにうかがえて本当に幸運だった。
永山さんのInstagramの関連投稿はこちらです。
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