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『未知を放つ』ブックエッセイ by佐々木ののか

『未知を放つ』の重版を記念して、文筆家の佐々木ののかさんに『未知を放つ』についてのブックエッセイを寄稿していただきました。

佐々木さんの著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)は『未知を放つ』の著者しいねはるかさんの愛読書。そして佐々木さんが執筆活動のテーマにされている家族、愛、介護といった事柄は『未知を放つ』のテーマでもあります。

このエッセイが『未知を放つ』を手に取っていただくきっかけになれば嬉しいです。
(地下BOOKS 小野寺)

「役割を演じずに自分らしく生きたい」
未知なる自分の欠片を拾い集める実験の軌跡

文:佐々木ののか

何の役割も演じずに自分らしく生きたいと思っても、自分を長らく縛り付けてきた人は「自分らしさとは」という壁にぶち当たる。自分らしさどころか、何がしたいのか、したくないのかもわからない。どこから手繰り寄せればいいかもわからぬ絡まった糸を前に呆然とし、途方に暮れてしまい、役割を演じる日々に戻ってしまう人もいるだろう。

そんな人に読んでほしいのが、自分の欠片を丁寧に拾い集める「実験」の軌跡を描いた、しいねはるかさんの『未知を放つ』だ。

タイトルにもなっている「未知」とは、「どうしてもそうなってしまうこと、名前のついていないもの、なかったことにしてしまいそうなもの、抱えたままの感情、いびつに見えるもの」などを指す。ともすれば軽んじたり、隠したりしたいとさえ思うそれらに、しいねさんは圧倒されたり、力をもらってきたりしたという。一方で、「いびつな自分」を放つことには抵抗があり、未知を自ら封じ込めてきてしまった。本書は、そんなしいねさんが、さまざまな人とのかかわりの中で、自分の未知を放つまでの物語だ。

物語は、ヤスパースの『哲学入門』にある一文から大きく動き出す。

「本来の存在の確認は交わりにおいて存在するのであります」

ヤスパース『哲学入門』(草薙正夫訳、新潮文庫刊、1954年)

この一文に出会い、孤独の克服をするためには他者との関わりが不可欠だと考えたしいねさんは、「ほんとうの愛」を求めて婚活を始める。ヤスパースと婚活の距離の大きさにやや面食らうし、出会った人も不躾なことを言ってくるなど、「ほんとうの愛」の探求には成功したとは言い難い。けれど、しいねさんはそうした違和感のひとつひとつを拾って、愛や自分の望みに少し近づいた実感を得る。そうして気付いたことを、宝物を見つけたように、丁寧に書き留めていく。

その後もしいねさんは、他人の「未知」に触れ、圧倒される機会を得る。術後せん妄の症状を抱えた父の幻覚に調子を合わせ、真夜中に傘を振り回して見えない存在と戦ったり、妻が下ごしらえしてくれた天ぷらを揚げるだけなのに「俺は天ぷらが好きだから、自分でつくっているんだよ!」と豪語する「いばりんぼうのおじいさん」と競馬に出かけたりする。年の離れたお友達だった、大家のおばあさんの看取りを経て得た深いかなしみの中で、周りに頼ってもいいことが腑に落ちる。

「大変」とか「面倒」とか「いびつ」とも言えるかもしれない「未知」に触れるたび、しいねさんは自分の内側に何かを発見し、それを書き留め、輝きを増す。未知とは「どうしてもそうなってしまうこと」でもあった。そうした「未知」をフラットに受け取ることができることこそ、ほかでもない、しいねさんの「未知」なのではないか。

他者との交わりを通じて自分の「未知」を開花させる中で、しいねさんのまなざしは徐々に社会をも捉えていく。夫の扶養に入ったとしても、子どもがいない夫婦に遺族年金は降りないこと。差別意識とはどういうものを指すのか。「自分はほんとうに女なのかな?」という違和感に端を発して考えた「LGBTQ+A」という言葉のこと。朝7時から23時まで働いて日給8000円のブラック企業での仕事と、月に12万円で暮らしても不自由なかった整体の修行期間を経験して考え始めた、最低限度の生活とはどんな生活のことなのか、ということなど。

どれが突出して問題だということなく、年金制度も介護も人種差別もセクシュアリティも労働環境も震災のことも婚姻制度も家族のことも、あるいは日常の小さな気づきも、すべてがフラットに並べられていく。それは実際に、すべてが地続きのできごととしてあることを示唆しているようでもあるし、冒頭に「一人一人が生きてきた道は、世界と地続きの道であるようにも思えた。」とあるように、しいねさんの人生が世界に接続しつつあった過程を表しているようでもある。

自分の「未知」を希求するなかで、他人の「未知」をまっすぐに受け止めて、世界へと未知を放っていくしいねさんは羽が生えたように軽やかで、眩しい。しかし、そこに至るまでには一点の光もない重低音の日々があった。筆者はそれこそが現在のしいねさんの「未知」を下支える胆力となったのではと感じているが、詳しくは本書の最終章に譲りたい。



――何の役割も演じずに自分らしく生きたい。

眩しい願いに対して、絡まった糸を前に途方もない気持ちになる。けれど、しいねさんは「うまくいかない状況は、どのように生きたいのかをイメージするためのギフトでもあった」と言う。だとすると、自分で自分を好きになれないコンプレックスだらけで何もかもがうまくいかない人の前にこそ、贈り物が、希望が積もっているとは言えまいか。

他者との交わりの中で、拾いあげるものには玉もあれば石もある。しかし、そのいずれもが、私と世界を照らす光になる。そしてさまざまな人の「未知」を集めた本書もまた、自分らしく生きたいと思いながら迷い悩む人を導く光なのだ。

佐々木ののか
文筆家。1990年北海道帯広市生まれ。自分の体験や読んだ本を手がかりにしたエッセイを執筆するほか、新聞や雑誌の書評欄に寄稿している。著書に『愛と家族を探して』(亜紀書房)、『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』(亜紀書房)。2021年1月、愛猫とともに北海道・十勝に拠点を移し、執筆を続けている。


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