この世が今年も生き辛い、すべての人たちへ
2024年10月
金木犀が我を出し始める季節になった。
大学内には金木犀の花が咲き誇り、どこにいてもその華やかな香りがどこからともなく漂ってくる。
匂いとは不思議なもので、過去の記憶や感情を鮮明に思い出させる。
…私はそれが、少し苦しいのだ。
2018年10月
恋人が死んだ。当時私は14歳だった。
葬式に行った。会場は家から5キロ近く離れた斎場だった。ひとりで自転車に乗って向かった。
ありきたりな表現だけど、
死んでいる彼は寝ているみたいだった。
告別式の帰り道、わたしは大声で彼の名前を叫びながら、やはりひとりで自転車を押して帰った。
涙が溢れて止まらなかった。
5キロの道のり。自転車なら20分。
その彼との思い出の道を、2時間かけて帰った。
自転車は気づいたら無くなっていた。どこかに置いてきたらしい。
2時間後には涙は枯れていて、呆然としながら歩いていると、金木犀の香りが漂ってきた。
鼻水やら汗やら涙やらでぐちゃぐちゃな鼻でも、しっかり感じ取ることができた。
出尽くしたと思っていた涙が、また流れ出した。
今度は静かに泣いた。
2018年11月
学校に行けない。自室からも出られなかった。
置いてきた自転車を探すのも嫌だった。
彼の面影がどこにでも存在している。苦しい。
彼の席、彼の下駄箱、彼のユニフォーム、彼の筆跡が残ったメモ帳、彼とお揃いのシャープペンシル、彼とのツーショット、目につくものすべてが彼を思い出させるものだった。
なのに彼が死んでから、四十九日がどうだったのかさえ知ることはできなかった。
もう、無理だと思った。もう生きていけない。
後を追おうとした。
ジーンズをドアノブに引っ掛け、首に巻きつけて、お尻がつかないように調整して、座った。私の意識が途切れる前に、ジーンズが息絶えた。
また、涙が溢れた。
2018年12月
わたしの誕生日が来た。彼の誕生日は10月だった。
11月にプレゼントを交換する予定だった。
だけど彼はもう、わたしへのプレゼントを用意していたらしい。ご丁寧に遺書のような手紙まで添えて。
買っておいた彼へのプレゼントのマフラーは、彼の家の庭をお借りして天に向けて燃やした。
彼のご両親も一緒に、空へ登っていくマフラーだったものを見送った。
三人で涙を流した。火が消えるまで。
そして、届いてるといいですね、と少し笑った。
2019年1月
新学期が始まった。相変わらず彼の机にはきれいな花が飾られていた。飾ったのが誰なのかは知らない。
死んだように登校して、授業も上の空で、給食を残し、部活も辞めた。3ヶ月で12キロ痩せた。
廊下で友達と談笑しているとき、笑い続けたまま突然涙がボロボロとこぼれ出した。友達が急にどうしたの、と焦り出す。わからない、なんだこれ、わたしは答えにならない答えを返す。周りの視線が痛かった。なんで泣いているのか自分でもわからなかった。
そしてわたしに不安神経症という病名がついた。
2019年4月
新しい学年、始業式。1度以前のクラスに集まった。
黒板に張り出された新しい出席簿に、彼の名前はどこにもなかった。そして気がついた。
彼の机が、片付けられて無くなっていた。わたしはパニックから過呼吸を起こし、そのまま早退した。
帰ってからまた、声を殺して泣いた。
2019年10月
1回忌が来た。怖くてお家には行けなかった。
当たり前の日常。彼だけがいない日々。
刻々と迫ってくる受験。身が入らない勉強。脳味噌に入ってこない文字や数字の羅列。塾代をドブに捨てた。
それでも、どこに行っても金木犀の香りがする街で暮らし続けた。
まだ涙は枯れていなかった。
2020年3月
卒業式を迎えた。
受験には落ちた。第二志望の公立高校に進学が決まった。前日に卒業アルバムをもらえた。
思い出の写真たちの中に、彼はいた。
彼が所属していた部活の集合写真にも、
右上に丸く切り抜かれた彼がいた。
安堵したと同時に、懐かしくもあった。
でも卒業したら彼が中学校に取り残される気がして、切なくて、苦しくて、悲しかった。
帰ってから少し涙が出た。
2023年2月
彼のことを忘れられないまま、高校三年生になった。当時助けてくれた保健室の先生を目指して、教育学部に進学が決まった。
このときまだ傷は癒えていなかった。それどころか自分を責める行為がエスカレートし、自傷行為まで始めてしまった。
母はそんなわたしに気付いていたが、どう声をかけていいかわからなかったらしい。同じ精神疾患を持っていても、わからないこともあるみたいだ。
このときにはもう、涙は出なかった。
2023年10月
季節は巡る。そこら中に金木犀が咲き、あの甘ったるい香りが蔓延っている。
5回目の命日に、やっと彼の墓前に向き合うことができた。線香と花を買って行った。
菊はなんとなく嫌だったので、カラフルな花にした。そのほうが彼らしかったから。
彼のご両親は、彼をお墓に入れていなかった。リビングに入って一番に目につくところに、彼の祭壇はあった。葬式で見たピースをして笑っている遺影。彼がよく飲んでいたBOSSのカフェラテと、ウィダーインゼリーを備えておいた。
終始安らかな気持ちだった。
2023年12月
大学をやめた。保健室の先生になるという義務感から解放されたから。自分の好きなことをしよう、と思った。大学受験のための勉強を始めた。
気持ちの整理がついた、という表現はちょっと違うかもしれない。けれど、将来のことを考えられるようになった。
やっと前を向けた。
2024年2月
大学に合格した。ずっと好きだった、心の表現を学ぶための大学に入学できた。
思えばこれが初めての人生の転機だったのかもしれない。もちろん、前大学で学んだことは全て無駄なことではない。むしろ、経験という見方をすれば、とても貴重なものだと今は認識している。
後ろ向きになることが少なくなった。
2024年11月
そして今、わたしはなんとかか学校へ片道2時間かけて通い、大好きなデザインについて学んでいる。
去年の今頃、わたしは来年こんなことになるなんて微塵も思っていなかった。人は一年で方向転換できる。そんなことがわかった。
長々と書いたが、この世が息苦しくて、心にわだかまりを抱えている人に向けて、少しでも私の記事が落ち着ける場所になるといいな、と願っている。
同じような経験をした方もいらっしゃると思う。
わたしはその体験談に救われてきたし、救われてほしい。
もしも今まで身近な人が突然いなくなった経験がなくても、まずはご先祖様や両親に花をあげてみてください
それでは今日はこのへんで。
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